「プトレマイオス2世」の版間の差分

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== 生涯 ==
 
[[プトレマイオス1世]]の息子として、[[コス]](Cos)に生れる。[[紀元前288年]]から父と共同統治をはじめ、父が死んだ[[紀元前285年]]から単独統治となる。その後、[[トラキア]]王[[リュシマコス]]と結婚したが未亡人となっていた姉アルシノエ2世と再婚した。積極的な外征で[[エーゲ海]]の諸島を回復、また第一および第度の[[シリア戦争]]遠征により領土を拡大し、更に[[アフリカ]]と[[アラビア]]への隊商路を確保した。さらにファユームの地をギリシア軍の[[植民地]]として開発するに成功し、これをアルシノエ県と称した。内政面では宰相[[アポロニオス]]により、ギリシア人を支配階層とする官僚的中央集権国家の生産独占組織と強力な[[統制経済]]機構を布き、国富は王朝最大国富歴史達成し通じ最大となった。文化面でも父の遺業を継ぎ、王宮へ学者・文人・芸人を招き、学士院([[ムセイオン|学士院]])と附属図書館に彼等多数の学者、文人養い、招聘しアレクサンドリア文学の黄金時代を現出した。
 
==脚注==