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{{大統領
| 人名=ランサナ・コンテ
| 各国語表記=Lansana Conté
| 画像=Lansana Conte 27 July 2001a.jpg
| 画像サイズ=260px
| 代数=第2
| 職名=大統領
| 国名=[[ギニア|ギニア共和国]]
| 副大統領職=
| 副大統領=
| 就任日=[[1984年]][[4月5日]]
| 退任日=[[2008年]][[12月22日]]
| 出生日=恐らく[[1934年]]
| 生地=[[ムーサヤ・ルンバヤ]]
| 生死=
| 死亡日=[[2008年]][[12月22日]])
| 没地=[[コナクリ]]
| 配偶者=
| 政党=[[統一進歩党]]
}}
 
'''ランサナ・コンテ'''('''Lansana Conté''', [[1934年]] - [[2008年]][[12月22日]])は、[[ギニア]]の[[政治家]]で[[大統領]]。[[首都]]の[[コナクリ]]近郊生まれで、[[スースー族]]出身。
 
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長期政権への批判を内外から受ける中、[[1998年]]、[[2003年]]に行われた大統領選には、いずれも当選。しかし、選挙結果や、政治手法については引き続き多くの議論が交わされている。
 
[[2005年]]1月にはコナクリ市内を走行中のコンテの車列に向け、発砲事件が発生し政情不安が露呈した。
また、[[2006年]]1月に発生したストライキの際には、コンテと労働組合との間で和解に持ち込むことに成功。しかし、強権的政治が揺らぎかねない手法を採ったことで、逆に、従来得てきた政治的な求心力が低下する恐れも想定されている。なお、ストライキが解消した後も治安の悪化が深刻化したことから、翌2月には戒厳令を敷き、国内の引き締めを図っていた。
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2008年12月22日、国営テレビによりコンテの死去が発表された。死因は不明。
 
{{先代次代|[[ギニアの大統領|ギニア共和国大統領]]|1984年 - 2008年|[[ルイス・ランサナ・ベアボギ]]| - [[ムーサ・ダディ・カマラ]]}}
 
{{DEFAULTSORT:こんて らんさな}}