「アルカディ修道院」の版間の差分

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Kliment.A.K. (会話 | 投稿記録)
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修道院には259人の反乱軍兵士がおり、12人から16人の革命委員会のメンバーがいた。これら反乱軍と革命団のリーダー達に加えて、トルコ人から逃れて保護を求める近隣集落の非武装の婦女子も修道院内に居た。
 
[[1866年]][[11月8日]]、修道院は30門の大砲を備えた1万5千人のトルコ軍に包囲された。トルコ軍の司令官は修道[[典]]ガヴリイル・マリナキス({{lang|el|Ηγούμενος Γαβριήλ}})に、降伏か、修道院の破壊かを選ばせる最後通牒を送った。この最後通牒は反乱軍の発砲によって答えられた。
 
数日間の戦いの後、修道院の壁は薄く軽かったため突破された。トルコ軍は修道院内に侵入し、反乱軍と戦った。婦女子はトルコ軍に降伏するよりは[[集団自殺|集団自決]]する事を選んで火薬庫に逃げた。コンスタンディノス・ギアムプダキス({{lang|el|Κωνσταντίνος Γιαμπουδάκης}})は火薬庫の爆発を引き起こし、これにより700人の婦女子と、数百人のトルコ兵の命が失われた。