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'''朝山日乗'''(あさやまにちじょう、生年不詳 - [[天正]]5年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]([[1577年]][[10月26日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[日蓮宗]]の[[僧]]。[[出雲国]]の出身とされる。'''日乗朝山'''(にちじょうちょうざん)とする説が多いが、朝山左衛門という弟が『[[言継卿記]]』に見える。朝山は姓であろう。[[諱]]は善茂。
 
※[[地下家伝]]によると、[[出雲国]]朝山郷の領主で尼子家臣だった[[朝山慶綱]]の子。
 
荒廃した[[皇居]]の修理費を勧進する念願を上奏し、[[後奈良天皇]]から'''日乗上人'''の号を賜ったという。[[1568年]]([[永禄]]11年)に[[織田信長]]が入京すると、信長に起用されて皇居の仲介者を担当し、その後信長の信頼を受け伊勢国内に領地を与えられた。信長の前で宣教師[[ルイス・フロイス]]らとの宗論に敗れ、以後、[[イエズス会]]から法敵とされた。また[[キリシタン]]であった[[和田惟政]]を陥れようとして失敗し、[[1573年]](天正元年)頃信長の寵を失って失脚した。