「阿蘇神社」の版間の差分

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[[孝霊天皇]]9年6月、[[健磐龍命]]の子で、初代阿蘇[[国造]]に任じられた国造[[速瓶玉命]](阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。阿蘇神社大宮司を世襲しこの地方の一大勢力となっていた[[阿蘇氏]]は、速瓶玉命の子孫と称している。[[延喜式神名帳]]には、一宮が「肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社」と記載され[[名神大社]]に列し、二宮が「肥後國阿蘇郡 阿蘇比咩神社」と記載され小社に列している。
 
肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、[[豊臣秀吉]]の九州征伐の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年に300[[町 (単位)|町]]の社地が寄進され、さらに、領主となった[[加藤清正]]、[[肥後藩]]主として入国した[[細川氏]]によって社領の寄進、社殿の造修が行われた。明治4年に国幣中社に列し、明治23年に官幣中社、大正3年に官幣大社に昇格した。詳しくは現宮司である、
 
詳しくは現宮司の'''阿蘇惟之編 『阿蘇神社』'''[[学生社]] 平成19年)'''
 
==祭事==