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2005年6月3日 (金) 03:08時点における版
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* 五代 西威王(玉城王長男)[[1336年]]?-[[1349年]]
[[おもろさうし]]によると、その最大支配領域は浦添を中心に
那覇・泊・首里三平等と佐敷間切を除く
中
南部
全域、
の大半と
本部半島であったと思われる。
[[中期山北]]の初代国王となる[[湧川]]は[[英祖]]の次男、[[南山]]の初代国王[[承察度]]は[[英祖]]の五男の大里按司の孫であると言われ、後の[[三山時代]]の基礎となった王統とも言われる。