「ボブ・オートン・ジュニア」の版間の差分

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| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1950|11|10}}
| 死亡日 =
| 出身地 = {{USA}}<br />[[フロリダ州]][[タンパ]]
| 所属 =
| スポーツ歴 = [[アマチュアレスリング|レスリング]]
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[[ヒロ・マツダ]]、[[エディー・グラハム]]、[[ジャック・ブリスコ]]らにトレーニングされた後に、[[1972年]]にプロレスデビュー。[[NWA (プロレス)|NWA]]加盟団体、[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]、ICW([[ランディ・サベージ]]の父[[アンジェロ・ポッフォ]]の団体)を中心に活動する。
 
[[1970年代]]はタッグプレイヤーとして才能を発揮し、AWAでは[[ジャック・ランザ|ブラックジャック・ランザ]]、NWAのジム・クロケット・プロモーション([[WCW]]の前身)や[[ジョージア州|ジョージア]]地区では[[ディック・スレーター]]とのコンビで活躍した。[[1980年]]に[[ボブ・ループ]]らと独立団体ICWの旗揚げに参画した後、ミッドサウス地区を経て[[1982年]]にWWF(現[[WWE]])を約1年間サーキット。[[アーニー・ロス|グラン・ウィザード]]を[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]に、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]において当時のWWF王者[[ボブ・バックランド]]にも挑戦した。
 
[[1983年]]には古巣のクロケット・プロに戻り、旧友のスレーターと共に当時のNWA世界王者[[ハーリー・レイス]]の[[ボディーガード]]となって[[リック・フレアー]]らと抗争。その後[[1984年]]、[[ビンス・マクマホン|ビンス・マクマホン・ジュニア]]の政権下で新体制となったWWFと再契約を果たす。[[ロディ・パイパー]]、[[ポール・オンドーフ]]と[[ヒール (プロレス)|ヒール]]ユニットを結成し、[[ハルク・ホーガン]]と敵対する悪役三人組の一人として活躍した。またこの頃から2年以上、左前腕に[[ギプス]]を装着し、凶器として用いることもあった。第一回[[レッスルマニア]]のメインイベントでは彼の凶器ギプス攻撃が決まり手となっている。程なくオンドーフがグループを離れて以後も、パイパーとは名コンビを組み続けた。WWFは[[1987年]]頃、パイパー、オンドーフと同時期に退団する。