削除された内容 追加された内容
m style
→‎事跡: リンク修正
41行目:
王邑とともに、王莽の親族にして腹心として活動した人物である。
 
[[永始 (漢)|永始]]2年([[紀元前15年]])、父・王音の死にともない、安陽侯を継承する。[[綏和]]1年([[紀元前8年]])、王舜は駙馬都尉から太僕に遷るが、翌綏和2年([[紀元前7年]])、病のために免職された。[[元寿 (漢)|元寿]]2年([[紀元前1年]])、[[車騎将軍]]に遷り、同年7月、皇太后[[王政君]]、王莽らの命により、王舜は中山王を出迎え、[[平帝 (漢)|平帝]]として擁立している。その後、時期は不明ながら、王舜は[[大司馬]]兼車騎将軍に昇格した。[[元始 (漢)|元始]]1年([[1年]])、太保兼車騎将軍に遷り、太傅王莽、太師[[孔光]]、少傅[[甄豊]]とともに四保となった。その後、やはり時期は不明だが、[[驃騎将軍]]に遷っている。
 
[[居摂]]1年([[6年]])3月、王舜は太傅兼左輔に任命され(驃騎将軍と兼任)、[[孺子嬰]]を補佐した。居摂2年([[7年]])9月の東郡[[太守]][[テキ義|翟義]]の反乱の際には、甄豊とともに夜間に宮中を巡回し、王莽を護衛した。
53行目:
 
子の王延が父の爵位である安新公を後継し、その弟王匡が父の地位である太師将軍に任命されている。
 
== 参考文献 ==
*<span style="font-size:90%;">『[[漢書]]』巻12本紀12平帝紀