「大平宿」の版間の差分
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その後、飯田藩により大平街道の通行を命じられた者や[[元善光寺]]参りの参拝者が滞在するようになり、文化年間(1810年代)には茶屋宿として栄えた。
明治になると、大平第三番小学正道学校や大平郵便局も設置され、長野県南部と周辺都市との交通や物流の要所となった。明治42年、木曽に[[中央本線]]が全線開通すると最盛期を迎え、戸数70を超える賑わいを見せた。しかし、大正12年に[[伊那電気鉄道|伊那電鉄]]が飯田まで開通すると、それまで大平宿を通って中央線を利用していた人々が減少し、さらに昭和30年代に[[
昭和45年、住民の総意として集団移住を決定し、同年11月末、大平宿は約250年の歴史に幕を下ろした。
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