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小アジア([[アナトリア半島|アナトリア]](小アジア)のミュシア地方にある古代都市で、スミュルナ(現イズミール)北方のカイコス川河畔にあり、エーゲ海から25キロメートルの位置にある。現在、[トルコ]]の[[ベルガマ]]と呼ばれている地にある。
 
ペルガモンは、[[紀元前3世紀]]半ばから[[紀元前2世紀|2世紀]]に[[アッタロス朝ペルガモン王国]]の都としてた[[ヘレニズム]]時代の都市である。その外港はエライアとエフェソスであった。ローマが紀元前129年に小アシアの西南部に属州アシアを設けたあと、ペルガモンは、エフェソスとともに、この属州の中心都市となり、ローマの都市として繁栄を続けた。
 
ペルガモンのアクロポリスの遺跡は標高335メートルの丘の上にあり、上市とよばれている。その下方には中市下市が建造され広がっている。上市には、宮殿、トラヤヌス神殿(ローマ時代のもの)、アテネ神殿、劇場、ゼウスの大祭壇、アゴラ、図書館の遺跡があり、[[ヘレニズム文化]]が栄えた往時のペルガモンの繁栄をしのばせるものがあった。上市の遺跡の一つ、ゼウスの大祭壇は、壁面彫刻などの遺物を用い使って、[[ドイツ]]の[[ベルリン]]にある[[ペルガモン博物館]]の内部に復原・展示されている。その雄大な姿は、往時の繁栄をしのばせるものがあている。
 
==アッタロス朝ペルガモン王国==
[[アッタロス朝ペルガモン王国]]は、[[ヘレニズム]]王国の一つで、アレクサンドロス大王偉将の一人リュシマコスの財宝を管理していたフィレタイロスの背信行為から生まれた[[ヘレニズム]]諸国の一つで、紀元前2世紀半ばすぎ、アッタロス1世が建国し、繁栄を極めた。紀元前133年、[[アッタロス3世]]が領内の[[ギリシア]]の独立[[ポリス]]を除き、ペルガモンの領土を[[ローマ]]に遺贈したことによって、この王国は消滅した。
 
ペルガモンの文化の発展の度合いは、[[図書館]]が一時[[アレクサンドリア]]の図書館に次ぐ規模に達していたことによって象徴されている。蔵書作成に使われた[[パピルス]]は、品不足の影響もあって、[[エジプト]]の[[プトレマイオス]]王朝から輸出を停止されたほどであった。そのため、同国でパピルスの代替するものとして[[羊皮紙]]が生産されるようになった。羊皮紙を表す言葉(例・英語parchment)語源ははペルガモンに由来する(例・英語のparchment)
 
== 関連項目 ==