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[[820年]]、[[穆宗 (唐)|穆宗]]が即位すると、翰林学士となった。次いで、[[822年]]には、中書舎人となった。その頃より、[[牛僧孺]]や[[李宗閔]]らと対立し始め、「'''[[牛李の党争]]'''」として知られる唐代でも最も激烈な朋党の禍を惹起した。
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[[840年]]、[[武宗 (唐)|武宗]]が即位すると、徳裕が宰相となり、地方の藩鎮の禍を除いた。その功績により、太尉衛国公となった。しかし、[[宣宗 (唐)|宣宗]]が即位すると、再び、潮州司馬、さらに崖州司戸参軍に左遷され、そこで没した。
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