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'''マキシム・ウェイガン'''(Maxime Weygand、[[1867年]][[1月21日]] - [[1965年]][[1月28日]])は[[フランス]]の[[軍人]]。
 
[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]に生まれ、[[外国]]籍のまま[[サン・シール陸軍士官学校]]に入学し、1888年フランスに[[帰化]]。ベルギー国王レオポルド二世の隠し子と言う噂があるが、本人はノーコメントを貫いた。[[第一次世界大戦]]に[[フェルディナン・フォッシュ]][[元帥]]の[[参謀長]]として偉功をたてた。
 
1920年[[ロシア赤軍]]の反攻にさらされた[[ポーランド]]に軍事[[顧問]]として派遣され、同国の危機を救った。1923年[[シリア]][[高等弁務官]]、1930年陸軍参謀総長と要職を歴任し、1935年退役したが、[[第二次世界大戦]]勃発とともに1939年近東軍総司令官に復帰。1940年5月敗色の濃い中で連合軍総司令官に就任したが、[[ドイツ]]との休戦を主張し、同年[[フィリップ・ペタン]]対独協力[[政府]]の国防相、ついで北[[アフリカ]]軍総司令官となった。[[シャルル・ド・ゴール]]にもドイツにも協力を拒んだため、1942年から1945年までドイツに抑留され、戦後は対独協力の容疑をかけられたが1948年無罪となった。