「グアダルーペカラカラ」の版間の差分

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勒犬 (会話 | 投稿記録)
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== 絶滅への過程 ==
1700年から島で[[ヤギ]]の[[放牧]]が始められると、子ヤギを襲う[[害鳥]]とされて(現生のカラカラの獲物には、子[[ヒツジ]]や子[[ワニ]]さえも含まれる。ガダルーペカラカラも実際に子ヤギを襲ったのかどうかは資料によって記述がわかれている)ガダルーペカラカラは[[毒]]や[[銃]]で駆除されるようになった。小さな島ではカラカラを脅かす動物はそれまで存在せず、警戒心の薄いガダルーペカラカラはあっさり撃ち取られた。数が少なくなると[[博物館]]、鳥類学者、[[収集家]]などが標本を手に入れようとして奔走し、ますます減少に拍車がかかった([[オオウミガラス]]や[[アメリカハシジロキツツキ]]と同じパターンである)。[[1897年]]には、1羽100ドルの値が付けられた。[[1900年]][[12月1日]]、11羽のガダルーペカラカラの群れが鳥類学者によって発見され、9羽が撃ち落とされ標本にされ、残りの2羽は逃げた。それ以降、ガダルーペカラカラを見たものは誰もおらず、1900年絶滅とされている。
 
== 外部リンク ==