「北条時実」の版間の差分

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{{武士/改名|武蔵次郎(通称)}}
{{武士/氏族|[[北条氏]]([[桓武平氏]])}}
{{武士/父母|父:[[北条泰時]]、母:[[安保実員]]の娘}}
{{武士/兄弟|[[北条時氏|時氏]]、'''北条時実'''、[[北条公義|公義]]}}
{{武士/妻|正室:[[北条朝時]]の娘}}
{{武士/終了}}
 
'''北条 時実'''(ほうじょう ときざね)は、[[鎌倉時代]]前期の[[北条氏]]の一族。[[鎌倉幕府]]第3代[[執権]]・[[北条泰時]]の次男である。
 
[[建暦]]2年(1212([[1212]])、北条泰時の次男として生まれる。第4代将軍・[[九条頼経]]の側近として仕えたが、嘉禄3年(1227年)6月18日に家臣の[[高橋二郎]]によって[[暗殺]]された。享年16。
 
この3年後に異母兄の時氏も死去するなど、時実の死を境にして泰時の家族はことごとく早世していくことになる。