「高辻家」の版間の差分

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{{日本の氏族|家名=高辻家|家紋名称=梅鉢|本姓=[[菅原氏]][[嫡流]]|家祖=[[高辻是綱]]|種別=[[公家]]([[半家 (公家)|半家]])|出身地=[[京都]]|所領地= |人物=|支流=[[唐橋家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[五条家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[東坊城家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[清岡家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[桑原家]]([[半家 (公家)|半家]])}}
'''高辻家'''(たかつじけ)は[[菅原道真]]の子孫である[[高辻是綱]]([[位階|正四位下]]・[[大学頭]])([[1030年]]-[[1107年]])を祖とする[[堂上家]]である。ちなみに[[唐橋家]]の祖である[[唐橋在良]]([[従四位上]]・[[式部省|式部大輔]]・贈[[従三位]])([[1041年]]-[[1121年]])は[[高辻是綱]]の弟に当たる。
 
'''高辻'''(たかつじけ)は[[半家 (公家)|半家菅原道真]]。当初は[[受領]]層貴族と同じく[[位階|四位]]止まりの家柄子孫であったが、[[鎌倉時代高辻是綱]]初期の[[菅原為長正四位下]]([[高辻為長大学寮|大学頭]])()([[11581030年]]-[[12461107年]])が参議に昇進してを祖とする[[公卿堂上家]]の列である。ちなみ加わり、[[室町時代唐橋家]]の祖である[[高辻継長唐橋在良]]([[1414年]]-[[1475年]])以降は[[文章博士]]・[[大学頭従四位上]]・[[式部省|式部大輔]]を経て・贈[[権大納言従三位]])([[極官1041年]]とするようになる。[[鎌倉時代1121年]]になり高辻家からは[[五条家高辻是綱]]が分かれ出る事となの弟に当たる。
 
家格は[[半家 (公家)|半家]]。当初は[[受領]]層の貴族と同じく四位止まりの家柄であったが、[[鎌倉時代]]初期の[[菅原為長]]([[高辻為長]])([[1158年]]-[[1246年]])が[[参議]]に昇進して[[公卿]]の列に加わり、[[室町時代]]の[[高辻継長]]([[1414年]]-[[1475年]])以降は[[文章博士]]・[[大学寮|大学頭]]・[[式部省|式部大輔]]を経て[[大納言|権大納言]]を[[極官]]とするようになる。[[鎌倉時代]]になり高辻家からは[[五条家]]が分かれ出る事となる。
 
家業は[[紀伝道]]で、代々[[天皇]]の[[侍読]]を務めた。
 
[[安土桃山時代]]の[[高辻長雅]]([[正二位]]・[[大納言|権大納言]]・[[式部省|式部大輔]])([[1515年]]-[[1580年]])の代で中絶するが、[[寛永]]11年([[1634年]])に[[後水尾天皇|後水尾上皇]]の命で同族の[[五条家]]から[[高辻遂長]](かつなが)([[正三位]]・[[参議]]・[[大蔵省|大蔵卿]])([[1600年]]-[[1643年]])を家督養子として家名が再興される。
 
[[江戸時代]]の家禄は200石。[[明治時代]]以降は[[子爵]]。