「高辻家」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{日本の氏族|家名=高辻家|家紋名称=梅鉢|本姓=[[菅原氏]][[嫡流]]|家祖=[[高辻是綱]]|種別=[[公家]]([[半家 (公家)|半家]])|出身地=[[京都]]|所領地= |人物=|支流=[[唐橋家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[五条家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[東坊城家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[清岡家]]([[半家 (公家)|半家]])<br/>[[桑原家]]([[半家 (公家)|半家]])}}
'''高辻家
家格は[[半家 (公家)|半家]]。当初は[[受領]]層の貴族と同じく四位止まりの家柄であったが、[[鎌倉時代]]初期の[[菅原為長]]([[高辻為長]])([[1158年]]-[[1246年]])が[[参議]]に昇進して[[公卿]]の列に加わり、[[室町時代]]の[[高辻継長]]([[1414年]]-[[1475年]])以降は[[文章博士]]・[[大学寮|大学頭]]・[[式部省|式部大輔]]を経て[[大納言|権大納言]]を[[極官]]とするようになる。[[鎌倉時代]]になり高辻家からは[[五条家]]が分かれ出る事となる。
家業は[[紀伝道]]で、代々[[天皇]]の[[侍読]]を務めた。
[[安土桃山時代]]の[[高辻長雅]]([[正二位]]・[[大納言|権大納言]]・[[式部省|式部大輔]])([[1515年]]-[[1580年]])の代で中絶するが、[[寛永]]11年([[1634年]])に[[後水尾天皇|後水尾上皇]]の命で同族の[[五条家]]から[[高辻遂長]](かつなが)([[正三位]]・[[参議]]・[[大蔵省|大蔵卿]])([[1600年]]-[[1643年]])を家督養子として家名が再興される。
[[江戸時代]]の家禄は200石。[[明治時代]]以降は[[子爵]]。
|