「フランキー・イェール」の版間の差分

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ロッコ (会話 | 投稿記録)
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イタリアの[[カラブリア]]州[[ロンゴブッコ]]出身。[[1901年]]頃に一家で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に渡り、10代で犯罪に手を染めた。その後[[ブラック・ハンド]]のボスとして[[ニューヨーク]]に君臨し、初期の有名な[[ゴッドファーザー]]といわれている。情にもろく残忍さと優しさの二面性を持ち合わせて金持ちから奪った金や物を貧しい人々に分け与えることで人気があった。彼自身が貧しい家庭出身で貧乏のつらさが分かっていたため、貧しい人を襲ったり、ただの強盗をすることを決して許さなかった。タバコ会社を所有して自分の顔をプリントしており、全国的な有名人だった。「闇の王子」「ブルックリンのプリンス」と呼ばれていた。
 
思春期をファイブ・ポインツ・ジュニアで過ごし17歳のときに玉突き場で大暴れして刑務所に入った。釈放されるとすぐに拳銃の不法所持で刑務所に送られ、その後も何度か逮捕された

24歳の時にマリア・デラピアと結婚する。その後、ローザとイザベラの2人の娘が生まれる。

結婚してから事業者へと変身し葬儀屋になり地元の顔役の生活を送る。彼は副業にもいろいろと手を出し、とりわけ意欲的に取り組んだ事業はバーとダンス・ホール、そのころバーテンダー兼用心棒として働ける若者を探していて[[ジョニー・トーリオ]]にその人選を頼むと、まだ無名の若造だった[[アル・カポネ]]を紹介された。カポネを自分のバーのハーヴァード・インでバーテンダー兼用心棒として働かせ暗黒街の基礎を教えた。このころイェールはトニー・ペロッタという男に手を焼いていた。彼は賭博でイェールに借金をしていた。面識のあるカポネが取り立てに行くことを承知した。カポネはペロッタが手におえなくなり射殺してしまった。イェールは「難しい仕事」(殺人の隠語)をやったカポネを好きになった。
 
イェールは、伝統的なシチリア人の友愛組織を[[シチリア同盟]]にまとめ上げ、組織の全国会長となった。この組織は、酒の密造や強請その他のたかり行為の隠れ蓑として機能していた。また彼は、ウニオーネ・シチリオーネのニューヨーク支部の会長でもあった。