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{{Infobox 犯罪者
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'''カール・パンズラム'''(Carl Panzram、[[1891年]][[6月28日]] - [[1930年]][[9月5日]])は[[アメリカ合衆国]]の[[連続殺人]]犯で、立証されていないものも含め22件の殺人を犯したとされる。刑死後にその半生を記した自伝が発表されたことでも知られる。
 
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== 告白と刑死 ==
パンズラムは[[1928年]]に逮捕されて[[ワシントンD.C.]]に拘置中にいくつかの殺人を自白しているが、立証には至らず不法侵入・窃盗ついて[[カンザス州]][[リーブンワース]]の連邦刑務所での懲役25年を言い渡された。またこのとき着任したばかりの看守[[ヘンリー・レッサー]]と知り合った。レッサーが囚人を通じて1ドルを渡すと、生まれて初めての恩義に感じたパンズラムは涙を流した。レッサーは筆記具を渡し、その[[悲観主義]]的な人生観(パンズラムは[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウエル]]を読んでいたらしい)に至る過去を書き記させた。上の犯罪歴はおおむねこの手記に拠っている。
 
投獄されたパンズラムは数か月後に洗濯場の作業監督を鉄棒で殴り殺して起訴されたが、彼は明確に死刑を望んで[[抗告]]を拒み、弁護人も断った。この間にもレッサーとの手紙の往復は続き、[[イマヌエル・カント|カント]]の『[[純粋理性批判]]』や雑誌を送らせて読んだり、精神異常とされないように気を遣ったりしている様子がうかがえる。結局彼は最後まで一切の反省も後悔もすることなく、1930年9月5日、絞首刑に処せられた。執行人に最期の言い分を尋ねられたパンズラムは「さっさとしろよ、田舎者め。おまえがもたもたしてるうちに、俺なら10人は殺せるぞ!」と罵った。