「ニケタス・コニアテス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''ニケタス・コニアテス'''(Nikētas Choniátēs、{{lang-el|Νικήτας Χωνιάτης}}、[[1150年]] - [[1213年]])は、[[東ローマ帝国|東ローマ(ビザンツ)帝国]]・[[ニカイア帝国]]の[[政治家]]・[[歴史家]]。中世ギリシャ語読みでは'''ニキタス・ホニアテス'''。
 
== 略歴 ==
[[フリュギア]]地方コーナイ(現在の[[トルコ]]西部)の貴族に生まれる。幼い頃に首都[[コンスタンティノポリス]]にいた神学者の兄[[ミカエル・コニアテス]]に育てられて学問を伝授される。後に兄ともども文人として知られるようになった。
 
ニケタスが[[フィリッポポリス]]知事をしていた時に、[[第3回十字軍]]がビザンツ東ローマ帝国を通過する。だが、皇帝[[イサキオス2世アンゲロス]]と[[神聖ローマ帝国]]皇帝[[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]が対立し、怒ったフリードリヒがフィリッポポリスを襲撃したため、ニケタスはこれを防いだ。その後宮廷秘書官・大法官などの要職を歴任する。
 
[[1204年]]、[[第4回十字軍]]がコンスタンティノポリスを襲撃した際にはニケタスの命も危うかったが、懇意にしていた[[ベネチア共和国|ベネチア]]商人が彼を町の外に脱出させる。後に[[ニカイア]]に落ち着いて執筆活動に専念した。
 
彼は中世のビザンツ東ローマ帝国では最も優れた歴史家の一人とされている。
 
==著作==
代表作として以下の2つがある。
*''Chronike Diegesis''(『年代記』、全21巻) - [[コムネノス王朝|コムネノス]]・[[アンゲロス王朝|アンゲロス]]両王朝の歴史を記した書。ビザンツ東ローマ側から見た[[十字軍]]の姿を描いている。
*''Thesauros Orthodoxfas''(『正統信仰の宝』、全27巻) - [[12世紀]]後半の[[正教会]]の会議の資料であり、[[神学書]]としての側面を持っている。