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== 年譜 ==
[[香川県]][[善通寺市]]に生まれ、[[香川県立丸亀高等学校]]を経て[[早稲田大学]][[文学部]]心理学科を卒業する。同大学大学院修士課程修了後、[[ストラスブール大学]]大学院留学、その際、同大学院を「卒業」したと思っていたが、後で[[博士号]]を取っていることを確認できなかったという。1972年から2004年まで[[和光大学]][[教授]]を務めた。なお、1933年生まれの岸田がなぜ2004年で71歳まで退職しなかったか、退職年は2003年で70歳のときではという疑問が卒業生より、かつて存在した岸田秀研究室ホームページで2004年から2006年にわたって投げかけられた。
 
雑誌『現代思想』によって思想界にデビュー。<!--[[ニュー・アカデミズム|ニューアカブーム]]も手伝って、★★ニューアカは80年代になってから★★-->1978年に出版された『ものぐさ精神分析』はマスコミを中心に話題となり、当時の思想界の若きスターだった[[柄谷行人]]も岸田の理論には注目していた。また、岸田の理論を信奉した[[伊丹十三]]は、岸田をメインにすえた思想雑誌『モノンクル』を刊行した。岸田が伊丹十三の本当の死因を知っていると噂されたが、本人が掲示板で知らないと否定した。
 
1980年代に到来する「[[ニュー・アカデミズム]]」の先駆とでもよべる人物であり、また、[[学者]]・[[研究者]]としてどの[[学会]]にも属していない。心理学を専門としているが、自分以外の心理学を無用の学問として、西洋の学問である心理学も日本のことわざで言われていることばかりであると述べている
また集団は個人よりも劣るとして、学会や大学教授などは無能なものばかりの集団だとしている。
 
1996年に文部省から大学で精神分析を教えることを禁じられ、岸田独自の理論は、学術的な精神分析ではなく、学界的にも文部科学省的にも、大学で正式に教育するのにふさわしくないとされたが、資格を剥奪されたにもかかわらず、その後も和光大学で教鞭をとり続けた。
 
和光大学で教授資格を取るために、ストラスブール大学卒業という経歴を表示し、デビュー作『ものぐさ精神分析』にも学歴にそう書かれていたが、実際には早稲田大学しか卒業しておらず、後の著作では早稲田大学卒業に表示が変わったが、そもそもストラスブール大学に国費で留学したにもかかわらず卒業できず、その経歴を詐称して大学教授に居座り続けたという疑惑が、岸田秀学歴詐称疑惑としてネット上で必ず上位に検索されている。
 
== 思想 ==
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『ものぐさ精神分析』を出版した際、「自分が言いたいことは一つしかない、著作はこの一冊でお終いだ」と宣言し、実際『ものぐさ精神分析』における唯幻論の思想はその後も変わらず一貫性を保っている。ただし、著作は多くの読者を集めたことからその後も多数出版している。
 
ミシェル・フーコーが来日した際にインタビューをし、「文化とは根底的に狂っている」などの自説を彼にぶつけた。
 
2003年の和光大学最終講義では、「人間は家畜」という自説を披露、和光大学生以外にはあまり知られていなかった岸田理論の新たなキーフレーズはDVD本として発売された。
 
2004年には『日本がアメリカを赦す日』の英訳本を出版、アメリカは被差別民族のヨーロッパ人から差別された2重、3重に差別された劣等意識の塊の人々が逃げ出して集まった人々の国という説は世界中で読まれることになった。しかし、岸田は自説を危険な思想と自覚し、アメリカで発売された英訳本は一般書ではなく、あくまで学術的な専門書という形態に拘った。
 
== 著作 ==