「クラレンドン法典」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎地方自治体令(1661年): リダイレクト回避:チャールズ2世 (イングランド王)
m編集の要約なし
1行目:
{{Otheruses|1661から65年にかけての非国教徒抑圧のための一連の立法について|1164年のヘンリー2世による立法|クラレンドン法}}
[[画像:WH 1st Earl of Clarendon.png|right|thumb|初代クラレンドン伯爵エドワード・ハイド]]
'''クラレンドン法典'''あるいは'''クラレンドン法'''(英:Clarendon Code)とは、[[ステュアート朝]]による[[王政復古]]後のイングランドで成立した非国教徒抑圧のための一連の立法。この法典は地方自治体令(英:Corporation Act、[[1661年]])・統一令(英:Act of Uniformity、[[1662年]])・コンヴェンティクル条令(英:Conventicle Act、[[1664年]])・5マイル条令(英:Five Mile Act、[[1665年]])の4つの法から成り立っている。一連の立法の中心になって活躍した[[エドワード・ハイド (初代クラレンドン伯爵)|クラレンドン伯爵]]にちなみ、「クラレンドン法典」と呼ばれる。