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'''松林図屏風'''(しょうりんずびょうぶ)は、[[長谷川等伯]]の代表作で、6曲1双の屏風画である。日本[[水墨画]]の最高傑作であり、[[日本美術]]を代表する名品。[[国宝]]。[[東京国立博物館]]蔵。
'''松林図屏風'''(しょうりんずびょうぶ)は、[[長谷川等伯]]の代表作である。[[祥雲寺障壁画]](現智積院襖絵)を完成させた頃息子の久蔵が26歳の若さで亡くなり、その悲しみを背負って描いたと言われる。樹木の描き方には、[[牧谿]]の影響が見られるが、もはや模倣の域ではなく完全に自己の画風に取り込んでいる。等伯の生まれ育った[[能登]]の海浜には、今もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に残った故郷の風景と牧谿の技法と結びついて、このような日本的な情感豊かな水墨画が誕生したと言えよう。
 
'''松林図屏風'''(しょうりんずびょうぶ)は、[[長谷川等伯]]の代表作である。[[祥雲寺障壁画]](現・[[智積院]]襖絵)を完成させた頃息子の久蔵が26歳の若さで亡くなり、その悲しみを背負って描いたと言われる。樹木の描き方には、等伯が私叙した[[牧谿]]の影響が見られるが、もはや模倣の域ではなく完全に自己の画風に取り込んでいる。等伯の生まれ育った[[能登]]の海浜には、今もこの絵のような松林が広がっており、彼の脳裏に残った故郷の風景と牧谿の技法と結びついて、このような日本的な情感豊かな水墨画が誕生したと言えよう。
[[Image:Pine Trees.jpg|thumb|400px|松林図屏風(右隻)]]
 
右隻の右2扇分と左4扇分との間、左隻の右3扇分と左3扇分との間に紙継ぎのずれが見えるため、もともと下絵として描かれていた可能性もある。継ぎ目を元の状態に戻すと、左隻の右1扇目上部の山から緩やかな[[三角形]]の構図になっており、丁度のその延長上の両端に[[落款]]が押されている。
 
本作品が世に知られるようになったのは、割合と比較的新しく[[昭和]]7年([[1932(1932]]のことである。その後直ちに、[[国宝]]に指定されており、この作品の高い画質が与えた衝撃の強さを物語っている。[[1997年]]には、松林図屏風とそっくりな作品が発見されており、等伯にごく近い絵師が「松林図屏風」本作見て描い模倣し物だものと推定される。
{{Double image aside|center|Hasegawa Tohaku, Pine Trees.jpg|400|Pine Trees.jpg|400|松林図屏風(左隻)|(右隻)}}
 
[[Category{{DEFAULTSORT:安土桃山時代の文化|しようりんすひようふ]]}}
日本[[水墨画]]の最高傑作であり、[[日本美術]]を代表する名品。[[東京国立博物館]]蔵。
[[Category:水墨画]]
 
[[Category:水墨日本の国宝 (絵|しようりんすひようふ)]]
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[[Category:絵画作品|しようりんすひようふ日本美術史]]
[[Category:日本美術史|しようりんすひようふ安土桃山時代の文化]]
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