「窪田精」の版間の差分

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Rabichan (会話 | 投稿記録)
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その後、1971年には副議長、1983年には霜多の辞任のあと第3代の議長に就任し、1999年まで在任した。この間、1978年には北海道の開拓農民を描いた「海霧のある原野」で、1992年には自伝的な三部作、「夜明けの時」「鉄格子の彼方で」「流人島にて」で[[多喜二・百合子賞]]を受賞した。綿密な取材に基づく作風は、ときには作中人物を饒舌にしすぎる傾向もあったが、戦後日本のさまざまな社会事象を取り上げている。北海道の[[航空自衛隊]]のまちを描いた「スクランブル」(1964年)、山梨県の過疎地での医療運動を扱った「石楠花村日記」(1972年)、東京新宿のクレジットデパートに取材した「白い歩道橋」(1974年)、広島県の自動車工場を舞台にした「工場のなかの橋」(1982年)などが、社会の現実と矛盾とに鋭く切りこんだ作品である。また、資料にもとづいて詳細に書かれた回想「文学運動のなかで」(1978年、ISBN 4875380372)は、戦後の[[民主主義文学]]運動の歴史として、貴重な証言となっている。
 
== 外部リンク ==
* [http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/kogun/kogun38KS.htm]
 
{{先代次代|日本民主主義文学同盟議長|第3代: 1983 - 1999|[[霜多正次]]|[[森与志男]]}}