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'''山中 幸満'''(やまなか ゆきみつ、生年不詳~[[永正]]3年5月3日)は[[戦国大名]]、[[尼子氏]]の家臣。名を十四郎と称した。妻は川副光氏の娘、曾孫は[[尼子十勇士]]の筆頭、[[山中鹿之介]]。[[山中氏]]の祖、父は[[山中幸久]]、母は桜井為信の娘。
 
== 経歴 ==
[[長禄]]元年([[1457年]])、父・幸久が兄の[[尼子清定]]により幽閉され、54歳で病死した。これにより幸満が後を継いだ。尼子の当主清定とまだ対立していたものの仕える事を許された。
 
家督を継いだ後のことは、ほとんど不明である。しかし子の[[山中勝重]]がまだ若い為、[[月山富田城]]奪取戦に参加したと思われる。その戦の後、当主[[尼子経久]]は[[富田城]]に入城し、幸満と勝重を家老に任じた。永正3年5月3日に没した享年42歳、法名は雲である。
 
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