「徹夜祷 (ラフマニノフ)」の版間の差分

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== 演奏史 ==
初演は1915年3月23日(当時ロシアで用いられていた[[ユリウス暦]]では10日)にニコライ・ダニーリン指揮のモスクワ[[聖務会院]]合唱団により行われた。評論家からも聴衆からも温かく迎えられ、月に5回以上も再演されるほどの成功を収めた。ラフマニノフ自身にとっても、合唱交響曲『[[鐘 (ラフマニノフ)|鐘]]』と並ぶ会心の作であり、第5曲を自分自身の葬儀に用いるように要望していた。
 
しかし作曲から2年後の1917年には[[ロシア革命]]が起こり、[[無神論]]を掲げる[[ソビエト連邦]]の体制になると宗教音楽の演奏は禁止されるようになった。一方ラフマニノフが生活の拠点を移した西側諸国でも正教会の奉神礼音楽が日の目を見るような状況にはなく、この作品は作曲後まもなく埋もれた状態になってしまった。
 
この曲が再び脚光を浴びたのは1965年にアレクサンドル・スヴェシニコフ指揮ソビエト国立アカデミー・ロシア合唱団によって録音された時のことで、これがソ連時代を通じて[[ペレストロイカ]]以前に許可された唯一の正教会聖歌の録音だった。ソ連の崩壊以降はこの作品が演奏、録音される機会も多くなってきている。教会の[[奉神礼]]に実際に使われる事も稀にあるが<ref>CD『Night Vigil』グラモフォン社(1994(1994)に、ラフマニノフの[[徹夜祷]]が実際に奉神礼に用いられたライブ録音が収められている。場所は[[サンクトペテルブルク]]の[[救世主顕栄大聖堂]]、司祷と歌唱は同聖堂の[[神品 (正教会の聖職)|神品]]と[[聖歌隊]]による。</ref>、[[徹夜祷]]に百人規模で参祷者があるほどに相当に大規模な教会でなければ実現不可能な難曲である。
 
== 構成 ==