「中国共産党中央党校」の版間の差分

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'''中共中央党校'''(ちゅうきょうちゅうおうとうこう)は、[[中国共産党]]の高級幹部を養成する機関。そのため校長のポストは重職となり、後に総書記に就く[[胡耀邦]]や[[胡錦濤]]も過去に務めていたことがある。機関紙は学習時報。
 
文化大革命が終結した翌年の1977年に復活し、中央宣伝部長でもある胡耀邦が副校長に就任すると、理論研究室を設立して阮銘、呉江、孫長江らブレーンに内部雑誌『理論動態』の中で様々な改革理論を提起させ、党内の思想解放を促した。その中でも、「真理の追究」は先に出された[[鄧小平]]の『実事求是』論と呼応して毛沢東無謬論を盾に改革を妨害するする華国鋒ら[[二つのすべて|すべて派]]を批判し、[[中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議|第11期三中全会]]での政策転換に貢献した。
 
1982年6月、胡耀邦が総書記職に専念するため、[[鄧力群]]の推薦で保守派長老の[[王震]]が後任に就いたが、保守派のトップである[[陳雲]]から「[[黄埔軍官学校]]のような組織にしてほしい」と指示を受けており、校長の権限で阮銘を党籍剥奪、呉江、孫長江を異動させるなど党校内部の改革派が一掃された。