「西欧自動車」の版間の差分

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当初は本社を池袋の西武百貨店別館事務所に置いていたが、後に[[東京プリンスホテル]]敷地内に移転、長年[[日本自動車会社|日本自動車]]が有してきたイタリア・[[フィアット]]車の輸入代理権を共有した。
 
低価格な[[フィアット・500|500]]や[[フィアット・850|850]]スポーツクーペ・スパイダーなど、活発でスポーティなモデルの販売に力点を置き、フィアット人気を盛り上げた。この結果、[[フィアット・1300/1500|1300/1500]]や[[フィアット・1800/2100/2300|1800/2100/2300]]などの中大型セダンを主軸としていた日本自動車を圧倒する販売成績を記録することとなり、日本自動車は1965年頃にはフィアット販売から撤退、西欧が唯一のフィアット販売元となった。
 
その後も本社を港区高輪に移し、[[フィアット・124|124]]スポーツクーペ・スパイダー、スポーティサルーンの[[フィアット・125|125]]などの人気モデルを輸入販売、1969年からは[[シトロエン]]、1970年からは[[SAAB|サーブ]]、[[ブリティッシュ・レイランド|BLMC系]]各車の取り扱いも開始したが、1971年に同系列の[[西武自動車販売]]と合併、後者が存続会社となった。西武は西欧の扱い車種を継承したが、フィアットとBLMCの輸入は排気ガス・安全基準が厳しくなり、メーカーが日本向け仕様車を用意出来なくなる1972年頃で打ち切られた。(フィアットの輸入は一旦中断された後1974年に再開されるが、長い間輸入元が一定せず、[[フィアット・ウーノ|ウーノ]]や[[フィアット・パンダ|パンダ]]が人気を呼ぶ1980年代後半まで不振が続いた。)