「民主主義のための政党」の版間の差分

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チリ共和国上下両院のホームページから議員数が判明したのでテンプレートに加筆する
17行目:
|郵便番号 =
|本部所在地 =
|下院 = チリ共和国下院
|下院議員数 = 19
|下院議員定数 = 120
|下院議員集計年月日 = 2009年4月<ref>[http://www.camara.cl/camara/diputados.aspx#tab チリ下院議員一覧]</ref>
|上院 = チリ共和国上院
|上院議員数 = 3
|上院議員定数 = 38
|上院議員集計年月日 = 2009年4月<ref>[http://www.senado.cl/appsenado/index.php?mo=senadores&ac=listado&orden=partido%20desc&TimeStamp=1240363682816 チリ上院議員一覧]</ref>
|上院議員集計年月日 =
|党員・党友数 =
|党員・党友数集計年月日 =
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[[1988年]][[10月]]に予定されていた[[軍政]]継続か否か、を問う[[国民投票]]において、投票の公正性を確保するため、[[選挙|投票所]]における[[立会人]]を全国的規模で確保することが反軍政派に求められた。そこで反軍政派は立会人を確保することを目的に[[1987年]][[12月15日]]、当時の[[ピノチェト]]大統領が同年[[4月]]に制定した政党法に基づいて「民主主義のための政党」(以下PPD)を結成した。このように当初、立会人を確保するために結成されたPPDであったが、その後、[[民主主義]]の復活と[[民主化|反軍政]]で一致する社会党員以外のあらゆる立場の人々を結集して大きな勢力となったため、国民投票で反軍政派が勝利し、[[1990年]]に軍政から民政へ移行した後も、そのまま独立した政党として存続した。そのような経緯のため二重党籍が認められており、初代党首で後に大統領となった[[リカルド・ラゴス]]も社会党との二重党籍をもっている。得票率・獲得議席とも本家の社会党より多い。
==外部リンク==
<references/>
*[http://www.ppd.cl/ PPD公式サイト]
*[http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronindex.htm#チリ ラテンアメリカ各国史年表目次]