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==功績==
弱冠21歳で、オランダの医学書『[[ターヘル・アナトミア]]』の翻訳に参加。[[ツンベルク]]について[[外科]]術を学び、その名はツンベルクの著した『日本紀行』により、海外にも知られていた。
 
教育者としても優れ、幕府が設立した医学舘の教官として任じられた他、[[享和]]2年『顕微鏡用法』を著し、[[顕微鏡]]を医学利用した初めての日本人として知られるとともに、その使用法の教授を[[徳川家斉]]等に行い、普及に努めた。また、オランダ商館長から贈られた、蝋製の人頭模型を基に、日本初の木造人頭模型の作成を指示したなどの功績が有る。