「トルコのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の版間の差分

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[[Image:ESC 2007 Turkey - Kenan Doğulu - Shake it up Shekerim.jpg|thumb|right|200px|[[ケナン・ドウル]]。[[ヘルシンキ]]での[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007|2007年大会]]にて。]]
[[Image:Mor ve Ötesi, Turkey, ESC 2008, 2nd semifinal.jpg|thumb||right|200px|[[モル・ヴェ・ヨテシ]]。[[ベオグラード]]の[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008|2008年大会]]にて。]]
'''トルコのユーロビジョン・ソング・コンテスト'''では、[[トルコ]]における[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]について述べる。トルコは、[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1975|1975年大会]]で初めてユーロビジョン・ソング・コンテストに参加した。このときトルコ代表として参加したのは[[セミハ・ヤンク]]({{lang|tr|[[:en:Semiha Yankı|Semiha Yankı]]}})の「Seninle Bir Dakika」であったが、その後[[1990年代]]まで目った好成績を挙げることはなかった。[[イェルサレム]]で行われた[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1979|1979年大会]]ではトルコは不参加となった。トルコ代表には[[マリア・リタ・エピク]]([[:tr:Maria Rita Epik|Maria Rita Epik]])と[[21. Peron]]の曲「Seviyorum」(愛してる)が選ばれていたものの、イスラエルで開催される大会にイスラム教徒が人口のほとんどを占めるトルコから参加することに関して、アラブ諸国から反発を受け、参加を取りやめた。
 
[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1999|1999年大会]]での歌う言語の自由化と、[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1997|1997年大会]]での電話投票の導入以降、トルコはそれ以前にくらべて格段に高い評価を受けるようになった。[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1997|1997年大会]]で、トルコは[[シェブネム・パケル]]([[:en:Şebnem Paker|Şebnem Paker]])の「[[:en:Dinle|Dinle]]」で3位となった。[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2003|2003年大会]]では、[[セルタブ・エレネル]]の「[[:en:Every Way That I Can|Every Way That I Can]]」で大会に参加し、初の優勝を収めた。わずか2ポイント差で[[ベルギー]]を破る辛勝であった。2003年のセルタブ・エレネルの優勝により、[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2004|2004年大会]]はトルコで行われることになり、大会は[[イスタンブル]]で行われた。地元開催となったこの大会では、トルコからは[[アテナ (バンド)|アテナ]]([[:en:Athena (band)|Athena]])の「[[:en:For Real (Athena)|For Real]]」で参加し、4位となった。[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007|2007年大会]]では[[ケナン・ドウル]]([[:tr:Kenan Doğulu|Kenan Doğulu]])の「[[:en:Shake It Up Şekerim|Shake It Up Şekerim]]」が再度4位と健闘した。