削除された内容 追加された内容
Mad-tea (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Tmonzenet (会話 | 投稿記録)
Mad-tea (会話) による ID:25536719 の版を取り消し
1行目:
'''理神論'''(りしんろん、英:deism)は、啓蒙時代のヨーロッパ一般栄えた宗教思想。自然神学、自然宗教ともいう。人間の功過に対して賞罰を課し、広く万物の摂理をつかさどるとされる人格神への信仰に対して、天地創造の主体としての[[神]]認め、神を人格的存在とは認めず啓示を否定する立場哲学・神学説
 
神の活動性は[[宇宙]]の創造に限られ、創造されたあとの宇宙は、あたかもねじを巻かれた時計のごとく、神によって定められた自然法則に従い、自己発展する力を持つとされる。創造後の神は自然に内在する合理的な法にもとづいてのみ宇宙を統治するので、[[奇跡]]・[[予言]]などによる恣意的な介入は否定される。17世紀後半の名誉革命に始まる市民社会の発展と自然科学の興起に伴い、合理的な思弁の浸透したイギリスの自由思想家たちによって唱えられ、従来の伝統的な国教会の教義を否認し、聖書の象徴的・比喩的解釈を採用する異端神学として始まったが、迷信批判、寛容思想を支える運動としてフランス・ドイツの啓蒙主義にも影響を与えた。
 
 
== 概略 ==
宗教を理性と調停するこの合理主義神学の信条は、最初17世紀の哲学者チャーベリーのハーバートによって定式化され、シャフツベリー(三代伯)により狂信の排撃と批判の論拠として用いられたが、この主題が世間の注目を集めるに至ったのは、1696年にトーランドの『キリスト教は神秘的でない』の公刊に際して国教会の護教論者がこれに攻撃を加えたのを機に、いわゆる理神論論争が勃発したためである。この時期宗教上の教義の批判は相対的に自由になっており、一時代前の宗教的熱狂への反動としての宗教上の無関心がある程度の寛容の社会的基盤を作っていた。けれども逆に一応の社会的自由を得て満足した市民層は保守的な良識道徳に寄りかかり、極端な合理主義への反感を持ち始めており、それに加えて理神論者側の思弁の不徹底さや皮相さが、国教会派体制の保持する社会的特権とあいまって理神論者側の立場を弱体化し、本場のイギリスでは結局思想の主流とならず、したがって後世への永続的な影響を残すには至らなかった。
 
しかし当時依然として強固な絶対主義体制下にあった大陸では、この理神論の神学はカトリック的イデオロギーに対抗する有力な武器となった。アンシャン・レジーム打倒の思想的武器である『百科全書』の編集者ディドロがシャフツベリーのさまざまな作品を翻訳し、ボルテールが『哲学書簡』でこれらイギリス理神論者の新しい合理的な自然宗教を紹介して社会的な偏見や非寛容迷信の打破のために奮闘し、この時代の思想に圧倒的な影響を与えたことは有名である。ボルテールの標語として広く知られる「破廉恥漢を押しつぶせ」と「もしも神が存在しないならば是非ともそれを作り上げねばならない」という二つの言葉は、一方では偏狭で抑圧的なカトリック教会の迷信と、そして他方では破廉恥な無神論に対して彼がとった両面作戦の立場を明快に表している。ドイツではライマールスやレッシングの神学的著作、とりわけ後者の名作『賢者ナータン』の中の有名な三つの指輪の寓話の中で、宗教的祭祀の形式や教説の多様性にかかわらずすべての既成宗教が純粋な一つの神への帰依である事実がもっとも雄弁に物語られている。
 
神の活動性は[[宇宙]]の創造に限られ、それ以後の宇宙は自己発展する力を持つとされる。人間理性の存在をその説の前提とし、[[奇跡]]・[[予言]]などによる神の介入はあり得ないとして排斥される。18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた。
 
== 起源 ==