「築城海軍航空隊」の版間の差分
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===沿革===
[[ミッドウェー海戦]]の大敗によって不足した[[航空母艦]]飛行機隊の再編を期するため、昭和14年より[[福岡県]][[築城郡]][[築上町|八津田村]]に建設を始めていた築城飛行場に着目し、航空隊を設置した。[[周防灘]]に面し、洋上爆撃・雷撃訓練が容易なうえに、[[呉鎮守府]]にもほど近く、[[航空母艦]]を招いての発着艦訓練をもくろんだ。
*昭和17年(1942年)
艦上[[戦闘機]]補充要員養成航空隊として発足。定数・戦闘機48機。
*昭和18年(1943年)
富高飛行場([[宮崎県]][[日向市|富島町]]に移転、内戦部隊に協力。
*昭和19年(1944年)
編成変更、戦闘機48機に[[爆撃機]]・[[攻撃機]]各48機を追加。
[[幌筵島]]進出を計画。
相次ぐ南方戦線への引き抜きのため、北方の航空隊は弱体化していたが、遂には五五三空自体も引き抜きの対象となったため、実施部隊に変貌してからの半年間、戦闘らしい戦闘を経験することなく、五五三空は解散した。解散後は主に硫黄島救援の各部隊の要員に転じた。
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===沿革===
長らく戦闘機練習を実施していた[[大分海軍航空隊]]が解隊され、関東防衛機能を兼ねた[[筑波海軍航空隊]]に改編された。この際、筑波空を追い出された中間練習機隊が築城および富高に分散配備されることになり、二代築城空を編成したうえで旧筑波空の中間練習任務を継承することとなった。しかし、[[沖縄]]の地上戦を目前に控え、築城・富高には[[特別攻撃|特攻]]の実施部隊が進出したため、中間練習の続行は困難となった。
*昭和19年(1944年)
:7月25日 [[美保海軍航空隊]]を卒業した[[予科練]]甲飛13期前期が入隊、飛練39期。 *昭和20年(1945年)
艦上[[戦闘機]]補充要員養成航空隊として発足。定数・戦闘機48機。
以後、8月9日の天雷特別攻撃隊白虎隊まで特攻および通常攻撃を実施。
以後、特攻訓練および秘匿温存に従事。
幸いにも築城空の練習生の多くは特攻出撃を迎えることなく終戦となったが、築城飛行場からは多数の特攻機が出撃している。
===主力機種===
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