「築城海軍航空隊」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
5行目:
===沿革===
[[ミッドウェー海戦]]の大敗によって不足した[[航空母艦]]飛行機隊の再編を期するため、昭和14年より[[福岡県]][[築城郡]][[築上町|八津田村]]に建設を始めていた築城飛行場に着目し、航空隊を設置した。[[周防灘]]に面し、洋上爆撃・雷撃訓練が容易なうえに、[[呉鎮守府]]にもほど近く、[[航空母艦]]を招いての発着艦訓練をもくろんだ。
*昭和17年(1942年)
*昭和17年:10月1日 [[築城基地|築城飛行場]]の落成にともない、[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]附属として開隊。
         艦上[[戦闘機]]補充要員養成航空隊として発足。定数・戦闘機48機。
*昭和18年(1943年)
*昭和18年:1月15日 練習戦隊として第五〇航空戦隊を編成(築城空・[[鹿屋海軍航空隊]]・[[鳳翔 (空母)|鳳翔]]・[[龍鳳 (空母)|龍鳳]]・[[夕風 (駆逐艦)|夕風]])。
         富高飛行場([[宮崎県]][[日向市|富島町]]に移転、内戦部隊に協力。
*昭和19年(1944年)
*昭和19年:1月1日 実戦部隊に転換、[[航空艦隊#第十二航空艦隊|第十二航空艦隊]]第五十一航空戦隊に編入。
         編成変更、戦闘機48機に[[爆撃機]]・[[攻撃機]]各48機を追加。
         [[幌筵島]]進出を計画。
*昭和19年:2月20日 「第五五三海軍航空隊」に改称、[[千島列島]]方面の哨戒に従事。
*昭和19年:2月末頃 千島への威力航空偵察が激化。千島での運用を中止し、[[美幌駐屯地|美幌飛行場]]に撤退。艦爆隊に変更。
*昭和19年:8月3日 十二航艦の所属航空隊で「N空襲部隊」を結成。
*昭和19年:9月2日 [[航空艦隊#第三航空艦隊|第三航空艦隊]]の[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]進出にともない、[[百里飛行場]]に進出。
*昭和19年:10月1日 解隊。
相次ぐ南方戦線への引き抜きのため、北方の航空隊は弱体化していたが、遂には五五三空自体も引き抜きの対象となったため、実施部隊に変貌してからの半年間、戦闘らしい戦闘を経験することなく、五五三空は解散した。解散後は主に硫黄島救援の各部隊の要員に転じた。
 
32 ⟶ 35行目:
===沿革===
長らく戦闘機練習を実施していた[[大分海軍航空隊]]が解隊され、関東防衛機能を兼ねた[[筑波海軍航空隊]]に改編された。この際、筑波空を追い出された中間練習機隊が築城および富高に分散配備されることになり、二代築城空を編成したうえで旧筑波空の中間練習任務を継承することとなった。しかし、[[沖縄]]の地上戦を目前に控え、築城・富高には[[特別攻撃|特攻]]の実施部隊が進出したため、中間練習の続行は困難となった。
*昭和19年(1944年)
*昭和19年:3月15日 [[筑波海軍航空隊]]より練習機隊が到着し開隊。第十一連合航空隊に編入。旧筑波空練習生の訓練を開始。
*昭和19年4月1日 富高分遣隊を設置。
*昭和19年:4月1日 富高分遣隊を設置。
:7月25日 [[美保海軍航空隊]]を卒業した[[予科練]]甲飛13期前期が入隊、飛練39期。
*昭和19年:9月20日 [[土浦海軍航空隊]]を卒業した予科練甲飛13期後期が入隊、飛練41期。
*昭和20年(1945年)
*昭和20年:2月1日 [[奈良海軍航空隊|三重海軍航空隊奈良分遣隊]]を卒業した予科練甲飛13期後期が入隊、飛練42期(築城空最後の練習生)。
*昭和20年:3月1日 富高分遣隊を廃止。要員は[[岩国飛行場]]へ移転し、二代[[岩国海軍航空隊]]を開隊。
         艦上[[戦闘機]]補充要員養成航空隊として発足。定数・戦闘機48機。
*昭和20年:3月18日 九州に敵機動部隊接近、艦載機による築城・富高への強襲を実施。
*昭和20年:3月下旬 沖縄戦に向け、実施部隊が築城に進出([[厚木海軍航空隊|第二〇三海軍航空隊]]・[[第七六二海軍航空隊]]など)。
         以後、8月9日の天雷特別攻撃隊白虎隊まで特攻および通常攻撃を実施。
*昭和19年:5月5日 十一連空を廃止し、実施部隊に改編。[[航空艦隊#第十航空艦隊|第十航空艦隊]]第十二航空戦隊に編入。
         以後、特攻訓練および秘匿温存に従事。
*:戦後解隊。
幸いにも築城空の練習生の多くは特攻出撃を迎えることなく終戦となったが、築城飛行場からは多数の特攻機が出撃している。
===主力機種===