削除された内容 追加された内容
Chi-Ham (会話 | 投稿記録)
Chi-Ham (会話 | 投稿記録)
20行目:
 
== 伝記 ==
僧璨の伝記として知られるのは、[[独孤及]](? - 777年)が撰した「隋故鏡智禅師碑銘并序」が知られる。それより先、[[7世紀]]半ばに成立した[[道宣]]の『[[続高僧伝]]』では、法沖伝の文中に、[[慧可]]の弟子として璨禅師があったことが記され、また、弁義(541年 - 606年)の伝中にも、僧璨禅師が登場しているが、璨という名の僧の専伝は立てられていない。
 
一方、禅宗の四祖[[道信]]に関する『続高僧伝』の記述を見ても、何処からともなくやって来た二僧が、カン公山で修禅しており、そこを訪れた道信が、以後10年の間、その二僧より禅法を受けた、という記述があるのみであり、僧璨という固有名詞は記されていない。