ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
「美濃路」の版間の差分
言語
ウォッチリストに追加
編集
履歴の双方向閲覧
← 古い編集
新しい編集 →
削除された内容
追加された内容
ビジュアル
ウィキテキスト
2009年4月28日 (火) 01:22時点における版
編集
FOZ
(
会話
|
投稿記録
)
拡張承認された利用者
29,350
回編集
編集の要約なし
← 古い編集
2009年4月28日 (火) 01:23時点における版
編集
取り消し
FOZ
(
会話
|
投稿記録
)
拡張承認された利用者
29,350
回編集
編集の要約なし
新しい編集 →
1行目:
'''美濃路'''(みのじ)は江戸時代に[[東海道]]・[[宮宿]]と[[中山道]]・[[垂井宿]]とを結んだ[[脇往還]]である。[[関ヶ原の戦い]]においては、東軍の先鋒である[[福島正則]]が[[起
村
町
|起]]([[愛知県]][[一宮市]](旧[[尾西市]]))から[[美濃国|美濃]]へ進軍し、戦いに勝利した[[徳川家康]]が凱旋した道で、「吉例街道」とも呼ばれ、将軍上洛時にも使われた。公用道として重視された街道で、朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中などが、この美濃路を通行した