「アーレン・スペクター」の版間の差分

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2004年の再選に際し、スペクターは共和党予備選で厳しい挑戦を受けた。かねてより穏健派と看做されていた彼は、急進的な保守派活動家たちのターゲットにされていた。こうした活動家たちの支持を受けてパット・トゥーミー下院議員が立候補し、スペクターは一時は当選が危ぶまれるほどの危機に瀕した。同じペンシルベニア州選出で、党内右派の[[リック・サントラム]]上院議員及び[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ジョージ・W・ブッシュ]]大統領の支持を得て、スペクターは52%対48%の僅差で予備選を勝ち抜いた。彼は民主党のジョー・ホエッフェル下院議員らを降し、5選を勝ち得た。
 
2009年4月、右傾化した共和党への批判を交えながら、「共和党の哲学との対立を感じ、民主党の哲学に共鳴するようになった。」と表明し、民主党へくら替えした。ただ、この民主党への鞍替えの裏には、2010年に予定されている時期上院選における厳しい選挙情勢も見え隠れする。<ref>『世論調査会社・ラスムッセン』http://www.rasmussenreports.com/public_content/politics/election_2010/election_2010_senate_elections/pennsylvania/election_2010_pennsylvania_republican_senate_primary [[英語]])</ref> 前述にあるように、上院における投票行動で、リベラル色の色濃い投票行動を繰り返してきた経緯から地元の共和党員が激しく反発、次期上院選の公認候補を選出する党員選挙で[[パット・トゥーミー]][[アメリカ合衆国下院|元下院議員]]に20ポイントの大差をつけられていたことから、スペクターが奇策に出た格好だ
 
== 上院司法委員長 ==
2004年12月、[[ビル・フリスト]]上院[[院内総務 (アメリカ)|院内総務]]や[[マイク・クラポ]]上院議員(共和党、アイダホ州選出)の支持を得て、一部の急進派の反対にもかかわらず司法委員長に選出された。2005年[[1月9日]]に正式に上院司法委員長に就任するが、[[2月16日]]には[[ホジキンリンパ腫]](ガンの一種)にかかっていることが判明する。一方で[[7月]]には[[サンドラ・デイ・オコーナー]]連邦最高裁判事が退任を表明し、[[ジョン・ロバーツ]]が後任に指名され上院はロバーツの指名承認手続きに入らねばならなくなった。スペクターは、病をおして司法委員長として公聴会などの指名承認プロセスを推し進めたが、[[9月3日]]、[[ウィリアム・レンキスト]]連邦最高裁長官が死去。ロバーツは改めてレンキストの後任の連邦最高裁長官に指名された。スペクターは司法委員長としての役割を果たし、[[9月29日]]ロバーツ連邦最高裁長官の承認にこぎつけた。[[10月4日]]にはオコーナーの後任として[[ハリエット・マイヤーズ]]が指名された。だが、マイヤーズは指名を辞退し、[[10月31日]]に[[サミュエルアリト]]が指名された。このことにより、スペクターは再び指名承認プロセスに大きな役割を果たすことになる。
 
== 外部リンク ==
* {{CongBio|S000709|スペクター}}
 
== 脚注 ==
<references/>
 
{{DEFAULTSORT:すへくたあ ああれん}}