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阿仁眼 (会話 | 投稿記録)
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== 趣味 ==
*音楽に関心があり、[[ピアノ]]や[[ヴァイオリン]]を習っていた。4歳(数え年)になる頃、皇帝からピアノを買い与えられたが、[[李香蘭]]と同じ先生に教わっており、彼女と一緒に演奏したこともあった<ref>渡辺1996年、75頁</ref>。少ししてからヴァイオリンも習うようになり、満州では皇帝のピアノ伴奏に合わせて弾いていた。学習院入学後は当時[[世田谷区|世田谷]]に住んでおられた[[鈴木鎮一]]先生に教わっていたが、同じ仲間に[[豊田耕児]]がいた。昭和17年([[1942年]])、満州国建国10周年に[[高松宮]]が来満された時は、その記念として慧生が「高松宮殿下奉迎歌」を[[日本語]]と中国語の2カ国語で歌い、レコードをつくった。
*上記の「慧生と中国」でも触れたが、読書家である。母の浩は、慧生の読書癖は父親似であると推察している。