「近江絹糸争議」の版間の差分

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6月2日、近江絹糸紡績労働組合(5月25日結成)が会社側に対して組合の承認、宗教行事への強制参加の中止、信書の開封・私物検査の停止、結婚・外出の自由、賃金体系の確立などの22項目の要求を行った。これに対して会社側が拒否したことから[[6月4日]]より従業員1万3千人が工場に[[ピケ]]を張って[[ストライキ]]に突入した。会社側は[[労務者]]を雇ってストライキを実力で弾圧しようとしたものの失敗、[[中央労働委員会]]なども乗り出す事態に至り、9月16日に労働組合側の要求が全面的に認められた。
 
[[革新政党]]や[[UIゼンセン同盟|全繊同盟]]の全面的支援という要素が大きかったものの、「人権争議」と呼ばれたように、経営側の[[労働三権]]をはじめとした[[基本的人権]]を無視した戦前以来の前近代的な[[労務管理]]の継続に対しては、従来から[[不当労働行為]]として当局の警告を受けていたのを経営側が無視していたことに加え、更に多数の未成年女子紡績工を含む労働者が「格子なき牢獄」に置かれているという実情が明らかとされたことや会社側の弾圧に対する抗議の自殺事件まで発生するに至り、世論の同情を強く集めたことが労働組合側の勝利の背景にあったとされている。
 
== 参考文献 ==