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'''大蛇山まつり'''(だいじゃやま-)は、毎年[[7月]]に[[福岡県]][[大牟田市]]、[[福岡県]][[柳川市]]、[[福岡県]][[みやま市]]、およ[[8月]]に[[熊本県]][[玉名郡]][[南関町]]で行われる[[夏祭り]]に使われる[[山車]]である。また、夏祭りそのものである。
[[画像:Daija0501.jpg|thumb|360px|三池本町(旧柳河藩)御前山]]
[[画像:Daija0601.jpg|thumb|360px|大牟田二区祇園大蛇山]]
[[画像:大蛇祭り.jpg|thumb|360px|南関町での大蛇祭り]]
 
== 概要 ==
*なぜ大蛇山は[[福岡県]][[大牟田市]]とその周辺地域独特の祭りである。大蛇が祭りに出るのか、その由縁は正確な文献がないため不明だが、祇園[[信仰]]の大蛇に象徴される[[水神]]・[[龍神]]信仰の[[融合]]として捉えられている。
'''大蛇山まつり'''は[[祇園]]の祭礼に伴う行事として[[江戸時代]]に大牟田市三池地区で始まった<ref>始まった時期には諸説ある。</ref>が、発祥は300年以上前から三池地方に伝わる[[祇園祭]]・[[夏祭り]]<ref>[http://www.city.omuta.lg.jp/kanko/matsuri/matsuri009.html 「大蛇山」って?大牟田市公式ホームページ]</ref>で、昔からその形態は変わらないとされている。
 
*大蛇山は、[[大蛇]]を模した製作物を飾り付けた[[山車]]に人が乗り、[[笛]]や[[太鼓]]、[[半鐘]]などの樂([[祭囃子]])と共に街中を練り歩く。大蛇の頭・尾を左右、あるいは上下に振り、[[花火]]・[[煙幕]]を取り付けて、火を吹いているように見せるところが特徴である
この祇園祭は、[[素盞嗚尊]](スサノオノミコト)と[[奇稲田姫]](クシイナダヒメ)を祀る神社の祭礼である。<!--
 
*[[複数]]の大蛇山が向き合う競演は、数分間のうちに大量の花火・煙幕が使われ、まつりの大きな見所の一つになっている。また、地域によっては[[踊り]]山車や[[大名行列]]なども繰り出し、まつりを演出している。
江戸時代当時、この地方の[[柳河藩]]主である[[立花氏]]の夢に出てきた素盞嗚尊の言いつけによって{{要出典}}、境内に素盞嗚尊を祀る[[彌劔神社]]を建立したことが始まりである。-->
 
*大蛇は昔からの手法を受け継ぎながら、まつり当日までの数ヶ月間、毎年手作業で[[和紙]]・[[竹]]・[[藁]]などを組み合わせて[[頭]]・[[胴体]]・[[尾]]を[[ご神体]]として作成し、山車に飾りつけられる。
奇稲田姫を大蛇山の[[祭神]]として大牟田の祇園で祀っているのは、第二区祇園が属する[[大牟田神社]]である。
 
*子供を大きく開いた大蛇の口内へ掲げる'''かませ'''という[[儀式]]があり、かませを受けると子供たちは無病息災の[[ご利益]]があるとされている。
==まつりの内容==
*大牟田市の大蛇山まつりは、7月の[[海の日]]の前日から第4[[日曜日]]まで行われており<ref>八剣神社の祇園祭からなる大蛇山まつりと、[[昭和25年]]から行われてきた商業祭からなる炭都まつり、[[三池港]]周辺で古くから行われていた港まつりが[[昭和37年]]に融合されて、現在に至る。</ref>、毎年のべ40万人の観光客で賑わう。
 
*まつりが終わる夜は、[[氏子]]や[[子供]]たちによって<ref>昔はまつりの夜が明けると同時に大蛇を氏子や有志で崩していた。特に左の目玉が一番価値があると言われ、激しい奪い合いが発生していた。しかし、負傷者が続出したことから戦後禁止となり、現在の方法で崩すようになった。</ref>大蛇の頭・胴体・尾を崩す'''山崩し'''が行われて、フィナーレを迎える。<ref>本宮彌劔神社での山崩しは神社の前で大蛇の首を落とし、[[境内]]に用意された炎の中に氏子衆がそのまま引き込んで燃やすという古くからの風習がある。</ref>崩した大蛇の部位は、持ち帰って軒先に飾ることで家内安全・無病息災の[[縁起物]]としてご利益があるとされている。
*このまつりの目玉は大蛇山の巡行であるが、主に大牟田市民が参加する[[盆踊り]]も'''一万人の総踊り'''と称して行われる。
*ここでは、福岡県の代表的な民謡である'''[[炭坑節]]'''や、まつりの名称ともなっている大蛇山にちなんだ'''大蛇山ばやし'''にあわせた盆踊りが行われており、参加者の中には旧産炭地の[[三井三池炭鉱]]があった大牟田らしく、炭鉱夫の格好をした'''キャップランプ隊'''も繰り出す。
*7月の第4[[土曜日]]と[[日曜日]]は、会場となる[[国道389号]]と[[福岡県道・佐賀県道18号大牟田川副線]]の一部が[[歩行者天国]]になり、大々的に催されている。その他、[[花火]]大会(大蛇山 Fire Festival)が大牟田市岬町、旧[[ネイブルランド]]跡地にて行われる。
 
== 各地の大蛇山 ==
*[[熊本県]][[荒尾市]]との県境地区では[[海の日]]前日と当日の2日間、大蛇山まつりの一環として港まつりが行われており、県堺大蛇を作製、巡行させている。
* [[大牟田夏まつり「大蛇山」]]
* [[中島祇園祭り]]
* [[江浦町祇園祭]]
* [[渡瀬祇園祭]]
* [[なんかん夏まつり]]
 
== 脚注 ==
*みやま市高田町江浦地区では[[7月]]の第3[[土曜日]]、同町渡瀬地区では[[7月]]下旬の[[土曜日]]に祇園祭として。柳川市大和町中島地区では[[7月]]の第4[[土曜日]]に中島祇園祭りとして。玉名郡南関町では[[8月]]の第一[[土曜日]]に南関町[[商工会]]主催でなんかん夏祭り「ぎおんさん」として例年行われている。
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<div class="references-small"><references/></div>
 
==大蛇山==
*'''大蛇山'''はこの地方独特の祭りであり、大牟田市内のみならず、周辺のみやま市や熊本県玉名郡南関町まで広がり、現在に至る。
*なぜ大蛇が祭りに出るのか、その由縁は正確な文献がないため不明だが、祇園[[信仰]]の大蛇に象徴される[[水神]]・[[龍神]]信仰の[[融合]]として捉えられている。
 
*大蛇山は、[[大蛇]]を模した製作物を飾り付けた[[山車]]に人が乗り、[[笛]]や[[太鼓]]、[[半鐘]]などの樂([[祭囃子]])と共に街中を練り歩く。大蛇の頭・尾を左右、あるいは上下に振り、[[花火]]・[[煙幕]]を取り付けて、火を吹いているように見せるところが特徴。
*[[複数]]の大蛇山が向き合う競演は、数分間のうちに大量の花火・煙幕が使われ、まつりの大きな見所の一つになっている。また、地域によっては[[踊り]]山車や[[大名行列]]なども繰り出し、まつりを演出している。
 
*大蛇は昔からの手法を受け継ぎながら、まつり当日までの数ヶ月間、毎年手作業で[[和紙]]・[[竹]]・[[藁]]などを組み合わせて[[頭]]・[[胴体]]・[[尾]]を[[ご神体]]として作成し、山車に飾りつけられる。
 
*大牟田市の大蛇山は、六つ<ref>三池本町山・三池新町山・本宮彌劔神社・諏訪神社・第二区祇園(大牟田神社)・第三区祇園(八剣神社)</ref>からなる'''祇園六山'''の他、[[商店街]]や[[公民館]]などの各参加団体がそれぞれ大蛇を製作し、期間中それぞれの地区を巡行させている。
*近年になって、歩行者天国エリアで上記の'''祇園六山'''による'''祇園六山巡行'''や、商店街や公民会などの各参加団体と一部の'''祇園六山'''による'''大蛇山大集合パレード'''が行われるようになり、観光客の見所となっている。
*三池本町山(旧[[柳河藩]])<ref>雲龍の彫刻と朱色に塗られた山車が特徴的な山車。島原の乱の軍功のご祝儀として旧柳川藩藩主から賜った。</ref>、三池新町山(旧[[三池藩]])<ref>昇天龍や金の蹄を持った謎の動物などの彫刻が施された山車。「御前山」の愛称で親しまれており、古くは延宝2年(1674年)に、今のそれは嘉永5年(1852年)に旧三池藩藩主から賜ったと伝えられる。</ref>には、藩主から贈られた彫り物が豪華な山車がある。
 
*柳川市大和町中島地区は、東上町と旧北二重の大蛇山・西上町の踊り山・下町の獅子山各一基と、中町の殿様行列からなる。祭り当日、東上町の大蛇山は八剣神社周辺を深夜1時ごろまで巡行させる<ref>旧北二重の大蛇山は、[[平成20年]]の祇園祭から45年ぶりに復活した。</ref>。
 
*みやま市高田町江浦地区には、二の丸吉原組・新町組・古町組の大蛇山が各一基、田中組の踊り山一基があり、同町渡瀬地区には大蛇山一基がある。
 
*熊本県玉名郡南関町の大蛇山は一基であるが、本来の祭り用とは別に大牟田市の'''大蛇山大集合パレード'''用の大蛇をもう一体製作し、毎年参加している。
 
*由来こそ同じではあるが、お囃子は各地域毎にまったく違うものであり、大牟田の'''祇園六山'''のうち、三池地区の二山は独自のお囃子を奏でる。
*子供を大きく開いた大蛇の口内へ掲げる'''かませ'''という[[儀式]]があり、かませを受けると子供たちは無病息災の[[ご利益]]があるとされている。
 
*まつりが終わる夜は、[[氏子]]や[[子供]]たちによって<ref>昔はまつりの夜が明けると同時に大蛇を氏子や有志で崩していた。特に左の目玉が一番価値があると言われ、激しい奪い合いが発生していた。しかし、負傷者が続出したことから戦後禁止となり、現在の方法で崩すようになった。</ref>大蛇の頭・胴体・尾を崩す'''山崩し'''が行われて、フィナーレを迎える。<ref>本宮彌劔神社での山崩しは神社の前で大蛇の首を落とし、[[境内]]に用意された炎の中に氏子衆がそのまま引き込んで燃やすという古くからの風習がある。</ref>崩した大蛇の部位は、持ち帰って軒先に飾ることで家内安全・無病息災の[[縁起物]]としてご利益があるとされている。
 
==その他==
*[[ハワイ]]で毎年開催されている[[ホノルル]][[フェスティバル]]に[[1998年]]から7回連続して参加した。現地には'''ホノルル大蛇山'''があり、[[2008年]][[6月]]にフェスティバル参加者が中心となり支援団体を結成することになった。
 
==主な他の祭り・イベントへの参加実績(過去・予定を含む)==
*ホノルル・フェスティバル(ハワイ・[[オアフ島]])
*京都まつり'98~京都市自治100周年記念([[京都府]][[京都市]])
*[[御堂筋パレード]]([[大阪府]][[大阪市]])
*[[アジア太平洋博覧会]]([[福岡県]][[福岡市]])
*[[博多どんたく]]([[福岡県]][[福岡市]])
*[[わっしょい百万夏祭り]]([[福岡県]][[北九州市]])
*[[ダイドードリンコ]]日本の祭り2008<ref>[http://www.dydo-matsuri.com/archive/2008/daija/index.html ダイドー祭りドットコム2008]特別番組として、「ダイドードリンコスペシャル 炭鉱(やま)に大蛇が舞い降りる~おおむた大蛇山まつり~」が[[RKB毎日放送]]にて[[平成20年]][[8月30日]]9時30分から放送された。</ref>
*日本のまつり・The MATSURIサミット<ref>http://www.saitamatsuri.jp/</ref>([[2008年]][[10月12日]]、[[埼玉県]][[さいたま市]])
 
==外部リンク==
*[http://www.city.omuta.fukuoka.jp/ 大牟田市公式ホームページ]
*[http://www.omutacci.or.jp/06-daijya/01-lejend/daijya-lejend.htm 大牟田市商工会議所]
*[http://www.sekoia.org/daijya.htm 大蛇山リンク集]
*[http://webtv.pref.fukuoka.lg.jp/mov_list.php?m=3&s=6&no=305 ふくおかWebTV とびうめ放送局-福岡の四季(動画あり)]
*[http://ameblo.jp/kouji4286/ わっしょい三池藩大蛇山]
*[http://www.gionkai.com/top.html Welcome to Gionkai Web Site!!(第二区祇園)]
*[http://www.3ku.jp/ 第三区祇園大蛇山ホームページ]
*[http://homepage1.nifty.com/daisaku/ 中島祇園祭り]
*[http://www.dydo-matsuri.com/archive/2008/daija/index.html ダイドー祭りドットコムの歴史 | 2008年のおおむた「大蛇山」まつり]
 
==脚注==
<references/>
 
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{{DEFAULTSORT:たいしややままつり}}
[[Category:福岡県日本の祭り]]
[[Category:大牟田市]]
[[Category:祇園祭・天王祭]]