「土御門殿」の版間の差分

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'''土御門殿'''(つちみかどどの)は、[[源雅信]]によって建設された、[[寝殿造]]の邸宅。娘の[[源倫子|倫子]]と[[従三位]][[京職|左京大夫]][[藤原道長]]が結婚する際に道長を住まわせ、雅信の死後に道長に継承されてその邸宅となった。[[平安京]]の左京一条にあり、現在の[[京都御所]]敷地内に該当する
 
[[一条天皇]][[中宮]][[藤原彰子]]が里邸として、ここで敦成親王(後の[[後一条天皇]])を出産、その様子は『[[紫式部日記]]』に詳しい。また『[[御堂関白記]]』によれば、[[長和]]4年([[1015年]])、[[北宋]]朝から[[クジャク|孔雀]]が朝廷に届いた。時の[[三条天皇]]が道長に下賜し、道長は土御門殿で飼っていた、という。
 
長和5年([[1016年]])に、[[火事]]で焼失するが、[[令制国|諸国]]の[[国司]]たちによって届けられた屋敷再建の品物によって、以前より立派な屋敷が再建された。以後、[[東三条殿]]と並ぶ[[摂家|摂関家]]当主の拠点として機能した。<!--[[室町時代]]以降に[[里内裏]]であった土御門殿が[[天皇]]の恒常の住居となった。[[1855年]]、[[老中]]の[[松平定信]]が律令制の形式にのっとり改築。現在の[[京都御所]]に至る。-->