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Poohpooh817 (会話 | 投稿記録)
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[[ハプスブルク家]]は''「オーストリア、汝は結婚せよ」''という言葉が残されているほど、婚姻によって獲得した君主位、所領が非常に多かった。基本的には「[[オーストリア大公]]」となった者が[[神聖ローマ皇帝]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]]、[[ボヘミア|ボヘミア王]]、[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ公]]等を兼ねたが、時代によってはこれらの地位を次期大公位継承者などに与えていたこともある。
 
ハプスブルク家がこのように多くの帝位、王位、大公や爵位を併せ持ったのは、王国もしくは大公国や諸侯領統治権がその位や爵位に属しているという観念を持っていたためによるものである。合理的にして合法的に)当該・地域統治権を得るためにその当該・地域の王位・爵位を手に入れるいう行為は非常に重要であったのである
 
以下にカール5世とオーストリア=ハンガリー皇帝の例を上げる。カール5世だけは神聖ローマ皇帝位の他に[[スペイン|スペイン王]]を兼ねている。この後ハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分かれてそれぞれの皇帝位オーストリア大公位とスペイン王位を継承していく。オーストリア・ハプスブルク家は東に勢力を拡大し、ハンガリー王、ボヘミア王などを合わせていく。なお、これらの王位は[[18世紀]]末まで[[選挙王制]]であったため、婚姻関係というは被選挙に出られる利よりたらすものでしかなく加えて在地の貴族層にいかに認められるかの方が重要であったと言える
 
*[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]の例