「チャン・シャルケン」の版間の差分

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Hhst (会話 | 投稿記録)
m ジャパン・オープン・テニス選手権
引退時期の間違い訂正
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|バックハンド=片手打ち
|デビュー年=1994年
|引退年=20052007
|ツアー通算=15勝
|シングルス=9勝
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シャルケンの[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]シングルス自己最高成績は、[[2002年]]の[[2002年全米オープンテニス|全米オープン]]準決勝進出である。この1回戦で、シャルケンはフィリプーシスと対戦していたが、フィリプーシスが第4セット終了の時点で試合を途中棄権した。勢いづいたシャルケンは一気に自己最高のベスト4まで勝ち進んだが、準決勝で[[ピート・サンプラス]]に 6-7, 6-7, 2-6 のストレートで敗れた。(サンプラスは続く決勝戦で[[アンドレ・アガシ]]を破り、現役最後の試合を4大大会通算「14勝」の優勝で飾った。)[[2002年ウィンブルドン選手権|2002年]]から[[2004年ウィンブルドン選手権|2004年]]まで、シャルケンは[[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]で3年連続のベスト8進出を記録した。ダブルスでは、[[2001年全米オープンテニス|2001年全米オープン]]の男子ダブルスで[[ポール・ハーフース]](同じオランダの選手)と組んでベスト4に入ったことがある。
 
チャン・シャルケンは[[2005年]]春から右アキレス腱の故障を抱え、[[20067]]2[[カナダベルガモ]]のトーナメで行われたチャレジャー大会準決勝で[[シモーネ・ボレリ]]([[イタリア]])に4-6,6-4,5-7のスコアで敗れたのを最後に28翌[[2007年]]3月に30歳で現役引退を発表した。
 
[[オランダ]]のプロテニス界には“ビッグ・サーバー”タイプが多く、[[1996年]]の[[1996年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]優勝者[[リカルド・クライチェク]]や、[[2003年]]の[[2003年全仏オープンテニス|全仏オープン]]準優勝者[[マルティン・フェルカーク]]もビッグ・サーバーである。