「アマラとカマラ」の版間の差分

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Jisx6004 (会話 | 投稿記録)
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#オグバーンの調査の結果とは異なり、アマラとカマラが狼のように振舞っているのを見たという証言が得られ、シング牧師に敵意を持っていると思われる人であっても、アマラとカマラの逸話に真実性を疑っているわけではなかった。
#問題のゴダムリ村は発見された。その村の名前はゴラバンダと変わっていた。村人たちから、チュナレム(シング牧師に化け物退治を依頼した人物)が、数年前までその村にいたことの証言が得られた。さらに、近くのデンガナリア村に住むラサ・マランディという老人は、16歳だった当時にシング牧師とともにアマラとカマラの保護に参加したと話した。
#オグバーンの論文で指摘された地方紙「ミドナポール・ヒアタイシ」のほかにも、「ステーツマン」誌やシング牧師が福音伝道協会に宛てた書簡、そしてシングのかつての教師であるブラウン神父の書簡といったものに「アマラとカマラはサンタル族によって保護され、その後シング牧師に引き渡された」と記されており、いずれもシング牧師の日記と矛盾していることがわかった。なぜこのような食い違いがあるのかについて、C・マクリーンは詳細は不明としながらも、シング牧師が2人の救出時に狩猟者の役割をしたことを伝道協会に知られたくなかった可能性や、野生児見たさに孤児院に殺到する見物人に辟易として矛盾を含んだ話をするようになっしまったという可能性を示している。
 
==関連項目==