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'''長谷川宗仁'''(はせがわ そうにん) [[1539年]]([[天文]]8年)-[[1606年]]([[慶長]]11年)は、[[安土桃山時代]]・[[江戸時代]]前期の[[武将]]、[[茶人]]、[[画家]]。[[従五位下]]、[[刑部卿]]、[[法眼]]に叙せられた。
 
初めは[[織田信長]]に仕えて[[奉行]]、[[代官]]などを務めた。[[本能寺の変]]で信長が亡くなると、[[豊臣秀吉]]に仕えて一万石を領して秀吉のもとでは茶人として活躍して茶器の名品の長谷川肩衝を所持していた。秀吉が亡くなると[[徳川家康]]に仕えた。画家としても有名であった。子の[[長谷川守知]]は美濃長谷川藩の藩主となった。