「ムーンライダーズ」の版間の差分

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Fuji-77 (会話 | 投稿記録)
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1981年には[[徳間ジャパンコミュニケーションズ|ジャパン・レコーズ]]へ移籍。移籍第1弾アルバム『マニア・マニエラ』は全編にコンピュータを取り入れ、また[[ドラムセット|ドラム]]等の楽器をパーツごとに別々に録音するなど、実験的なレコーディングが試みられ、[[テクノ・ミュージック]]やニュー・ウェイヴの頂点ともいうべき作品に仕上がっている。しかし、経費が高額となりレコード会社から「難解すぎる」「これでは売れない」と評されたため、メンバー自ら発売中止を決定した。直後、次作『青空百景』のレコーディングを開始。『マニア・マニエラ』は、当時まったく普及していなかった[[コンパクトディスク|CD]]で発売(後に[[1984年]]にカセットブック、[[1986年]]にキャニオン・レコードよりLPとして発売)された。
 
以来、[[BMG JAPAN|RVC]]、[[ポニーキャニオン|キャニオン・レコード]]へ移籍しながらコンスタントにアルバムを発表した。その後、[[1986年]][[11月21日]]の『'''DON'T TRUST OVER THIRTY'''』発表後、結成10周年記念として行われた、東京・恵比寿ファクトリー([[東京都]][[渋谷区]]:現在は閉鎖)でのライブの影響や、鈴木慶一の耳などの病気により5年間にわたって活動を停止。メンバーは[[任天堂]]のゲームソフト「[[MOTHER (ゲーム)|MOTHER]]」の音楽制作(鈴木慶一の作品)や音楽プロデュース、ソロアルバムの制作など活発なソロ活動を展開していた。
 
=== 活動再開以降 ===