「アンドレ・ゴベール」の版間の差分

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[[1914年]]に[[第一次世界大戦|第1次世界大戦]]が勃発し、各種のスポーツ競技大会も戦争のため開催が中断された。[[1918年]]11月の世界大戦終結後、全仏選手権の再開は[[1920年]]までかかった。終戦後に再開した最初の大会で、ゴベールは男子シングルス決勝で[[マックス・デキュジス]]を 6-3, 3-6, 1-6, 6-2, 6-3 で破り、9年ぶり2度目の優勝を飾る。翌[[1921年]]、ゴベールはウィリアム・ローレンツとペアを組み、全仏選手権の男子ダブルスで初優勝した。それまで長年の間、全仏の男子ダブルスはデキュジス&ジェルモー組が君臨を続け、2人は[[1904年]]から[[1920年]]までの間に10勝を挙げていた。全仏選手権が国際大会となり、フランス人以外の選手たちにも出場資格が与えられた[[1925年全仏テニス選手権|1925年]]が、ゴベールの最後の全仏出場になる。この時は第16シードからベスト8まで勝ち進んだが、[[インド]]のシドニー・ヤコブとの準々決勝を途中棄権した。[http://www.fft.fr/rolandgarros/pdfpalmares/hommes1925_fra.pdf] フランスのテニス界の黎明期を築いたアンドレ・ゴベールは、[[1951年]][[12月6日]]に[[パリ]]で61歳の生涯を閉じた。
== 主な成績 ==
* [[全仏オープン|全仏選手権]] 男子シングルス:2勝(1911年1920年)/男子ダブルス:1勝(1921年)/混合ダブルス:1勝(1911年)
* [[ウィンブルドン選手権]] 男子ダブルス:1勝(1911年)
* オリンピック [[ストックホルムオリンピックにおけるテニス競技|1912年ストックホルム五輪]]:室内競技、男子シングルス・男子ダブルス金メダル
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== 参考文献 ==
* 全仏オープン公式メディア・ガイド、1995年版 (1924年以前の記録は、全仏オープン公式サイトでもリンク切れになった)
* [[ランス・ティンゲイ著『|Lance Tingay]], “''100 Years of Wimbledon''” (ウィンブルドンの100年史』(英語、) Guinness Superlatives Ltd., London (1977年刊、) ISBN 0900424710、アルファ・オメガ社)0-900424-71-0 [ウィンブルドン選手権の成績。ゴベールの生没年月日も、本書に掲載]
{{夏季オリンピックテニス男子シングルス金メダリスト}}
 
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[[Category:1890年生]]
[[Category:1951年没]]
 
[[de:André Gobert]]
[[en:André Gobert]]