「山内要一」の版間の差分

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*[[法政大学]]卒業後、[[1996年]]にHBC(北海道放送)入社(同期は[[加藤雅章]]アナ、現報道記者の[[武田明子]]と現[[フリーアナウンサー]]の[[石山愛子]]。)。
*「[[ヨルカン]](2003年10月~2004年3月放送、山内アナは毎週金曜担当)」では自らのTV番組好きが高じ、「山内要一が語るアノ番組」という看板コーナーまで生み出した。リスナーから寄せられた「昔放送されていた懐かしの番組」のお便りを山内アナ自ら感動した番組と照合し、物まねと豊富な情景描写を駆使して「昔の番組」を熱く語っていた。さらに「ラジマガ」でも「山内要一の[[ドラマ]]を語るシリーズ」というコーナーが不定期ながら大人気となり、山内アナが自ら感動したドラマの名場面を物まねと情景描写を駆使して熱く語っていた。
*クイズマニアとしても知られ、TVのクイズ本を数多く所有(最古品は「クイズグランプリ」の本)すると共に、小学生時代から数多くのクイズ番組予選に出場した経験がある。それを活かしてHBCラジオでは数多くのリスナー参加型クイズを手がけた(「ファクトリー!積み上げ100万円クイズ」、「クイズポテトショック!」など)
*2007年11月下旬ごろから「[[ガンちゃんの世界一面白いプロ野球の番組]]」内においてリスナーから「『北見の星』山内要一」と名づけられ、同番組内にて[[岩本勉]]氏(ガンちゃん)の勢いに押されリスナーに完全に定着してしまった。本人も最初は恥ずかしがって否定していたが、必死で抵抗する様子が受けて彼の担当曜日である金曜日の「[[ファイターズDEナイト!]]」のリスナーにも定着しつつある。その後も山内は抵抗は続けていたが、いつの間にか抵抗することもなくなってしまい、結局現在では完全に自分のキャッチコピーにしてしまっている。また2008年1月6日のこの番組の放送分ではこのページの事がリスナーからの紹介によって注目を集め、生放送中に加筆・修正されるという珍事が発生した。2008年1月下旬頃から山内ファンより求められるサイン色紙にも「『北見の星』山内要一」と書くようになり、同年2月のファイターズ沖縄キャンプ取材時には同番組内においてガンちゃんからの提案により色紙に[[シリアルナンバー]]を[[札幌ドーム]]超満員と同数の4万2222人まで付けるという目標を掲げはじめたが、次から次へと「シリアルナンバーを付けて欲しい」という要望が増えてきており、「『北見の星』山内要一」としての人気はうなぎ上りである。
*テレビニュースを読むときはカメラレンズの上のほうをみてニュースを読み、他のアナウンサーよりも動きが少ないのが特徴である。