「トゥー・ヴァージンズ」の版間の差分

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こうして次第にオノへの思慕を深めていったレノンは、1968年[[5月19日]]夜、妻[[シンシア・パウエル|シンシア]]の旅行中にオノを自宅に招待し、翌日明け方にかけて、前衛音楽のアルバム制作に着手した。『トゥー・ヴァージンズ』はこのときに2人が完成させた最初のアルバムであり、その内容はレノンとオノが即興で出した音ばかりを集めた計12曲で成り立っている。なおレノンは、本作録音中にオノと初めて肉体的に結ばれたことを公言し、宣伝に利用していた。以後、オノはレノンと[[同棲]]生活を始め、常に行動を共にするようになった。
 
このアルバムで最も有名なのはその内容ではなく、制作中の出来事に関連して、レノンとオノが一糸纏わぬ姿で写った[[ジャケット写真]]である。これは当時2人が同棲生活を送っていた、[[リンゴ・スター]]が所有していた[[アパート]]で撮影された。[[陰茎]]を露出したレノンと、[[乳房]]と[[陰毛]]を露出したオノが写ったこのジャケットは[[イギリス]]やアメリカだけでなく、全世界で大きな物議を醸した。彼が所属していたビートルズは1968年に[[アップル・レコード]]を設立し、以降数年間メンバーは、この[[レコードレーベル|レーベル]]から[[レコード]]を発売し続ける。しかし、アップル・レコードのディストリビュート先であったイギリスの[[EMI]]やアメリカの[[キャピトル・レコード]]は、ジャケット写真に大きな抵抗感を示してこのアルバム発売を拒否した。そのため、イギリスとアメリカでは別のレコード会社(米テトラグラマトン、英トラック)の配給でリリースされている。アメリカ盤は二人の顔のみ印刷された茶色のカバー入れて出荷された。日本ではビートルズの作品を販売していた東芝音楽工業(現[[EMIミュージック・ジャパン]])を始めとするあらゆるレコード会社が、[[猥褻]]図書販売の容疑で[[警察]]の手入れを受けてしまうことを恐れたため、結局アルバムが発売されることはなかった。事実、このアルバムのジャケット写真を掲載した雑誌「フォークリポート」[[1970年]]冬の号は、同じ号に掲載された[[ポルノ小説]]との合わせ技とは言え、[[大阪府警]]と曽根崎署に猥褻文章図画販売の容疑で[[URC|出版元]]が[[強制捜査]]を受ける事態となっている。
 
[[1997年]]に[[ライコ・レコード]]から初めて[[コンパクトディスク|CD]]化され、日本でも[[ビデオアーツ・ミュージック]]から発売された<ref>ライコ・ディスク特有のケース全体を覆うオーバーカバーが付けられ、日本盤では同様のデザインのカードが付属している</ref>。このリイシューの際に英・米ステレオ盤LPで12曲に分かれていたセクションは、英モノラル盤LP同様「サイド・ワン」と「サイド・トゥー」と名づけられた2つのトラックに統合された。さらに、ボーナス・トラックとしてオノの自作曲「リメンバー・ラヴ」が追加収録されている。