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日常の足として利用されてきたオートバイはやがて舞台を[[サーキット]]に移し、[[レース]]に世界各国のオートバイメーカーが参加した。精密加工を得意とする日本の企業は高回転高出力[[エンジン]]である[[直列型エンジン|並列多気筒エンジン]]を搭載したオートバイで参戦した。ホンダに続いて、ヤマハ、スズキ、[[カワサキ]]もオートバイ製造に参加し、各社切磋琢磨して年々高性能化、タイトルを日本勢で塗りつぶし、市場における優位性を確保した。こうして日本はオートバイ大国となる。
 
しかし、道路が[[舗装]]整備され、[[オート三輪]]を経て四輪[[自動車]]が一般的な乗り物として普及すると、[[日本]]におけるオートバイ市場は頭打ちとなり、カブのようなビジネスバイクを除いて趣味の乗り物となり、オートバイの販売数は頭打ちになった。
 
1980年代前半になると、ヤマハが業界1位の座をホンダから奪おうとして日本のみならず[[アメリカ合衆国|アメリカ]]をも舞台にして[[HY戦争]](詳細は項目参照)が起きた関係でラインナップが増えた裏でオートバイの価格が下落し、さらに1980年代後半からは好景気([[バブル景気]])も重なり、90年代前半にかけて日本にバイクブームが訪れた。