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大番は当初は6組、その後の増強と幕府制度の整備にともない、[[本丸]][[老中]]支配として12組となる。[[徳川秀忠]]が[[将軍]]に就任し、書院番・小姓組(創設当初は花畑番)が新たに創設されると親衛隊側面はそちらに移行し、大番は幕府の直轄軍事力となってゆく。そのため、将軍・[[大御所]]・世子の親衛隊ではない大番が[[西の丸]]に置かれる事はない。
職務は、戦時においては旗本部隊の一番先手として各種足軽組等を付属した上で[[備]]の[[騎馬隊]]として働き、平時には江戸城下および要地の警護を担当する。大番の警護する要地には[[二条城]]および[[大坂城]]があり、それぞれに2組が1年交代で在番する。江戸時代初期にはこのほかに[[伏見城]]と[[駿府城]]の警護に当たっっていたが、伏見在番は伏見廃城により、駿府在番は書院番が勤めることになり、それぞれ廃止された。
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