「ロンドン動物学会」の版間の差分

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ロンドン動物学会は当時のイギリスの主要な科学者によって設立された。「全ての科学的団体の高貴なる親」と呼ばれた[[ロンドン王立協会]]は[[自然科学]]の力強さを明らかにし、1788年の[[リンネ学会]]の設立につながった。その目的は「自然史の科学研究の全分野、特にグレートブリテンとアイルランドの自然史の洗練」と定められた。しかしリンネが植物学者であったことから、リンネ学会は植物により大きな関心を持っていた。
 
1822年11月29日に「近代動物学の父」[[ジョン・レイ]]の誕生日にあわせて行われたリンネ学会の会合で昆虫学者ウィリアム・カービーは「リンネ学会の動物学クラブ」を作る決心をした。1816年から1826年の間、ラッフルズ、デービー、[[ジョセフ・バンクス]]らは議論を行い、[[パリ植物園]]のような形で動物を収集し、公共の関心を引き楽しませる組織が必要だと感じた。協会の目的は動物を収集し、余暇に図書館と博物館で学べることだった。1828年に会員向けに動物庭園が開園された。[[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]]は協会に王室の動物コレクションを寄贈した。1847年に資金の問題を解決するために市民にも開放された。ロンドン市民はすぐにこの動物庭園(ズーオロジカル・ガーデン)を'''[[動物園|ズー]]'''と略した。この[[ロンドン動物園]]はすぐに世界でもっとも広範なコレクションを有する動物園となった。
 
20世紀が始まると動物をより自然に近い環境で飼育して観察する必要性が明らかとなった。協会の事務局長[[ピーター・チャルマーズ・ミッチェル|ピーター・ミッチェル]](在職1903-1935)はロンドンから110km以内で市民がアクセスしやすく、少なくとも200エーカーの広さを持つ新たな公園を作ろうと考えた。1926年に農業の不況から都合の良い場所場見つかった。協会はホイップスネイド村の近くのホール牧場を13,480ポンドで購入した。最初の動物は2羽の[[キジ]]、1羽の[[キンケイ]]、5羽の[[セキショクヤケイ]]であった。1931年にホイップスネイド公園は世界初の野外動物園として市民に公開された。