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'''田宮 虎彦'''(たみや とらひこ、[[1911年]][[8月5日]] - [[1988年]][[4月9日]])は、[[昭和]]期の[[小説家]]。
 
== 経歴 ==
[[東京都]]に生まれて[[神戸市]]に育つ。船員である父親の都合で転居を繰り返し、[[兵庫県立神戸高等学校|兵庫県立第一神戸中学校]]から[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]]を卒業。三高では彼の入学年度から保証教授制度により生徒の管理が厳しくなったが「別に不自由な制度とは思わず、実に自由に遊び呆けて、三高生活に突入していった」と自ら明るい学生生活を振り返っている。
 
[[東京大学|東京帝国大学]][[文学部]]国文学科在学中から、[[同人誌]]『日暦』に参加し、小説「無花果」などを発表した。[[1936年]]、『人民文庫』創刊とともに参加するが、治安維持法により度重なる発禁処分を受けた人民文庫は廃刊。「沈没しようとしていた船からいち早く脱出した鼠」と[[古澤元]]は自主解散派だった田宮虎彦を評した。その後、女学校教師などをしながら小説修業を続ける。
[[1947年]]に『世界文化』に発表した「霧の中」で注目され、小説家生活に入る。精力的に作品を発表し、[[1951年]]『絵本』で[[毎日出版文化賞]]を受ける。
 
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息子の[[田宮堅二]]はトランペット奏者で[[桐朋学園大学]][[教授]]。
 
== 作品 ==
父は[[高知市]]、母は[[香美郡]]香宗村(現・[[香南市]])の出身。高知へ帰ることも多く土佐を郷里と意識していた。
「足摺岬」など土佐を題材とした作品も多い。船員の父親から激しい折檻をうけて育ち、父との折り合いが悪く大学在学中も母の密かな仕送りで生活していた。
 
『菊坂』『絵本』『足摺岬』『異母兄弟』といった田宮の小説の基本モティーフは人が人であることへの絶望感である。『絵本』そして足摺岬』(足摺岬は絵本の続編的内容である『足摺岬』などが代表作とされる。
 
激動の時代([[戊辰戦争]]から[[十五年戦争]]にかけて激動の時代の中で運命に翻弄される人々の絶望、それに苦悩する魂を清冽な叙情でつづった。その[[私小説]]世界は、いまなお多くの心を捉えている。
 
[[NHK]]放映した彼の作品の特集番組((『絵本』『足摺岬)昭和のあの暗い時代と現代と何がどれほど本質的に変わったのか」と田宮自身が語る映像の中で締めくくっている。
 
== 代表作 ==
[[画像:Tamiyatorahiko-ashizuriIMG 1882w.JPG|thumbnail|220px|足摺岬にある文学碑]]
*霧の中
*落城
*絵本
*[[足摺岬]]
*ある女の生涯
*愛のかたみ
*異母兄弟
*花 …  - 『[[花物語 (映画)|花物語]]』として[[1989年]]に映画化。監督[[堀川弘通]]。主演[[高橋惠子]]。配給[[大映]]。
 
== 関連項目作品 ==
=== 映画作品 ===
*映画『 足摺岬』 [[吉村公三郎]]監督 (1954(1954年/日本/北星 モノクロ108分)
:[[木村功]]/[[津島恵子]] 出演
:『絵本』『菊坂』『足摺岬』を[[新藤兼人]]が脚色。
 
*映画『異母兄弟』 [[家城巳代治]]監督 (1957(1957年/日本/独立映画 モノクロ110分)
:[[三国連太郎]]/[[田中絹代]]/[[中村賀津雄]] 出演
:195819583月、チェコのカルロビバリー映画祭でグランプリをソビエトの『静かなるドン』とグランプリを頒けた。
 
*映画『雲がちぎれる時』[[五所平之助]]監督(1961年/日本/松竹 カラー93分)
:[[佐田啓二]]/[[有馬稲子]]/[[仲代達矢 /賠償]]/[[倍賞千恵子]] 出演
:『赤い椿の花』を新藤兼人が脚色。
 
=== 評論 ===
*評論『田宮虎彦論』[[山崎行雄]]著(オリジン出版センター 1991年)
 
*その他、テレビドラマとして、1956年から1978年までの間に、少なくとも30本の作品が多数のテレビ局で放送されている。
 
== 関連項目 ==
*[[神戸文学館]]
 
== 参考文献 ==
*[[若一光司]]著 『自殺者 現代日本の118人』 [[幻冬舎]]〈幻冬舎アウトロー文庫〉、ISBN 487728575X
 
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